Coach's VIEW は、コーチ・エィのエグゼクティブコーチによるビジネスコラムです。最新のコーチング情報やコーチングに関するリサーチ結果、海外文献や書籍等の紹介を通じて、組織開発やリーダー開発など、グローバルビジネスを加速するヒントを提供しています。
リーダーから始まる“礼節ストーリー”

ある朝、オフィスで私は部下のAさんに声をかけました。
「おはようございます。Aさん、元気?」
「おはようございます。元気です!」
すかさず、隣にいたBさんが言いました。
「上司の稲川さんに『元気?』と聞かれたら、『元気です』としか答えられないでしょう」
するとAさんは、
「いえ、僕は『元気?』と聞かれるのがうれしいです。なんかエネルギーが上がります」
挨拶して、声をかける。そんな何気ない会話のなかで、AさんやBさんはどのように声をかけてもらいたいのかを知ることができた瞬間でした。
私にとっての挨拶は、“相手がそこにいることに気づいていること”を伝えるための大切な関わりであり、同時に、関係を構築していくために必要な最大の機会と思っています。でも、最初からそのように考えていたわけではありません。
ひとつの挨拶が関係を壊すこともある
かつて、ゴルフ場を経営していた頃のことです。
中途入社でフロントの接客を担当していたKさんと、長年バックヤードで総務・経理を担当していたベテラン社員のOさんは、互いに協力しながら、とても高いパフォーマンスを発揮してくれるスタッフでした。また、プライベートでも良い関係性を築いていると聞いていました。
ところがある日、Kさんが退職を申し出ました。その理由を聞いて私は愕然としました。
「朝、Oさんに挨拶したのに、返してもらえなかったんです」
「え…? 挨拶ひとつで?」と、私は思いました。しかし、結局Kさんは退職。そして1か月後、Oさんも退職。二人を同時に失った私は、何が起きていたのかを深く考えました。
Kさんの退職理由を聞いたとき、当時の私は、「そんなことで?」と思いました。しかし、それは「そんなこと」ではなかったのです。Kさん本人にとっては、「自分の存在が無視された」と感じるほどの出来事だったに違いありません。挨拶をする、声をかける。それは、単なる業務の一部ではなく、「この場にいるあなたを大切に思っています」という表現なのです。そのことを私は痛感しました。
また、挨拶に限らず、礼節を欠いた行為を見たり聞いたりしたときに、その相手にそのことを指摘するだけでは、行動変容を促すことは難しいことも体感しました。リーダーが、「挨拶しよう」「感謝を伝えよう」といくら口で言っても、なかなか行動は変わりません。それは、“意味づけ”が欠けているからです。「なぜそれが大切なのか」という意味に心が動かされない限り、人は変わらないのです。
意味づけは、ストーリーから生まれます。挨拶を返されなかった痛みも、丁寧に声をかけてもらった喜びも、それぞれの体験が「挨拶とは何か」「礼節とは何か」という意味を形づくります。だからこそ、まずはリーダー自身が体現することが大切なのだと思うようになりました。それが相手にとっての“ストーリー”となっていくからです。
最近出会った“ストーリー”
先週、あるクライアント企業のコーチングプロジェクトで、キックオフミーティングをZoomで行ったときのことです。おそらく、参加者の皆さんの中には、これから何が始まるのかと不安を感じていたり、忙しいのに何でこんなことやるのかと不満を抱いたりしている人もいたでしょう。
そんな中、プロジェクト事務局の人事のNさんは、画面越しに見える50名近い参加者の一人ひとりに丁寧に「〇〇さん、音声は聞こえていますか?」「お声を出してもらえますか?」と音声環境を確認した上で、誰一人欠かすことなく「ありがとうございます」と声をかけていたのです。その姿に私は胸を打たれました。
音声環境の確認は、進行上大切なことですが、それ以上にNさんの関わりは「あなたの存在を大切にしている」と伝えていました。プロジェクトはスタートしたばかりですが、Nさんと一緒に成果を出していけると確信が持てた瞬間でした。
プロジェクトの目的・ゴールは、「上意下達から対話・共創する文化への変革」です。メンバーが何でも自由に言い合って、協働しやすい雰囲気になること。そして、一人ひとりが考えて自走できるリーダーが増えることです。その始まりにおけるNさんのこの関わり。相手を思いやる心を持って、形式的な礼儀を超えて相手に深い敬意を表すことのできるリーダーが増えていく予感がしました。
ストーリーが、文化を変える
リーダーが一人ひとりの存在を丁寧に扱う姿勢を見せると、周囲も自然とその姿勢をまねて、組織全体に「お互いを尊重する空気」が広がっていきます。リーダーにとって礼節とは、単なる礼儀作法の話ではありません。それは「人の存在を尊重する文化をつくる」ことであり、文化を変える力そのものなのです。
とはいえ、忙しさや焦りの中で、つい後回しにしてしまいそうになることもあるでしょう。そんな時には、自分の中にある“礼節のストーリー”を思い出してみてください。
あなたがどんな出来事に心を動かされ、どんな意味づけをしてきたのか。
そのストーリーが、組織文化の源泉になるのです。
あなたには、どんな“礼節のストーリー”がありますか?
そして、あなたの組織にどんな“礼節のストーリー”を残していきたいですか?
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