Coach's VIEW は、コーチ・エィのエグゼクティブコーチによるビジネスコラムです。最新のコーチング情報やコーチングに関するリサーチ結果、海外文献や書籍等の紹介を通じて、組織開発やリーダー開発など、グローバルビジネスを加速するヒントを提供しています。
意味問うだけじゃだめですか?
先日、小学5年生の息子の授業参観に行きました。
科目は「市民科」。区の教育要領によると、「市民科」は「社会の一員として義務と責任を果たし、常に自己変革を図りながら,自らの生き方に意味付けを行うことのできる資質と能力を身に付けさせることをねらいとして構想された」教科です。
この日の授業のテーマは、「チームの人間関係を左右するもの」。
経営チームのあり方、職場での人と人との関係性を仕事にしている私にとって、黙ってはいられない(さすがに黙って参観しましたが)内容です。
小学生による“良いチーム”と“悪いチーム”
授業が進む中で、先生が黒板に大きく書きました。
<良いチームと悪いチームの違いとは>
担任の先生のファシリテーションのもと、クラス全体での話し合いが始まりました。
子どもたちは、「はい!」と次々に挙手して、「協力できること」「話し合えること」「リーダーが偉そうにしないこと」とどんどん意見を出します。
意見が出る度に質問が飛びます。
「なんで、そう思ったの?」
自分とは違う意見だったのであろう子どもからは、間髪入れずに突っ込みが入ります。
「それって、どういうこと?」
そうしたやりとりを経て落ち着いた以下の内容が板書されました。
<悪いチーム>
・喧嘩が起きる
・悪口を言い合う
・言いたいことがありそうでも無口の人がいる
・まとまりがない
・お互いを信頼していていない
<良いチーム>
・笑っている人が多い
・失敗しても責めず、励まし合う
・コミュニケーションがある
・自分の言動を振り返ることができる
・リーダーが仲間を盛り上げ、仲間の中から新しいリーダーが生まれる
後ろから見ていて、私は唖然としました。前日、ある企業の経営幹部メンバーをチームコーチした際に、「経営チームがより有意味な対話をするために必要なマインドセットとは何か」というテーマで話された内容と、表現の違いこそあれほぼ同じだったからです。むしろ、表現に飾り気がない分、端的で関係性の核心をついているように感じ、チームのダイナミクスを言語化できる5年生に驚きました。
同時に、授業中の子どもたちのやりとりを見ていて思い出したことがありました。
経営幹部が語った「耳を傾けられなくなる瞬間」
前日のチームコーチング中、ある経営幹部が静かに言いました。
「余裕がないとすぐに相手を説得したくなるんです。
そうすると、聞いているふりをして聞けていない自分に気づきます」
別の幹部もうなずきました。
「結局、チームとして議論をしているようで、
自分の主張を“勝たせたい”だけになってしまうときがある」
大人のチームのコミュニケーションが行き詰まるときの典型が、「自分の意見を勝たせようとする瞬間」です。
対して、授業参観の子どもたちのやりとりにはそれがありませんでした。まず、相手の話を「へえ、そうなんだ」と受け止める余白がある。その余白が「なんで、そう思ったの?」「それってどういうこと?」という風に洞察を生む。その洞察があるからクラスというチームのコミュニケーションが機能しているように見えました。
相手を受け止める余白が失われると安全な場が崩れ、安全が崩れると対話は成立しづらくなります。コーチングでもまずそこを整えます。そのような“場”だからこそ、対話は拡張していくのです。
経営幹部たちの言葉を聞きながら、私はつくづく思いました。
「子どもが自然にできている、聞く“余白”を、大人は努力して取り戻しているんだな」
「私は、コーチとして、この努力の手助けをしているんだな」
と。
子どもの、本質を問う力を参考にする
なぜ、持っていたはずの聞く“余白”を私たちは失ってしまうのでしょうか。
経験を積むと「こうあるべき」「こうにちがいない」という認知の枠組みが形成されていきます。また、大人は「そんなこともわからないと思われたくない」「変な質問をしたらどう思われるか」と社会的評価を気にします。
子どもはそうした枠組みや抑制がまだ弱いのです。だから子どもの問いは、回りくどさがありません。ストレートに、シンプルに「なぜなのか」と問います。
参観した授業でも、子どもたちはわかったふりをせずに、「それってどういう意味?」「どうしてそう思ったの?」と他者に対して「意味」や「前提」を問うていました。
子どもの問いがシンプルで本質的になりやすいのは、前述の背景によるものですが、彼らが自由に自然に行っている「意味や前提を問う」行為を参考にしない手はありません。
たとえば、コーチは、コーチングをしている相手から「部下が、伝えたことを期日通りにやらないんです」と言われたとき、その部下の行動の矯正を試みるのではなく、背景を共に探ります。
「そうすることで何を守ろうとしているのだろうか」
「彼/彼女は今、どんな状態にいるのだろうか」
「職場におけるどんな暗黙の前提がそれを許しているのだろうか」
“行動”ではなく、“意味”に問いを向けるのです。行動は結果にすぎません。“意味”に光を当てて初めて問いは機能します。
子どもたちは、この“意味への感覚”を無意識に使っていたように見えました。
小学生式 問いの立て方
帰宅後に、息子に聞きました。
「なんで、クラスのみんな、あんなに友達の話をよく聞けるんだろう。
先生から話の聞き方とか教わったり、会議の参加マナーとか習ったことある?」
すると息子は、面倒くさそうに言いました。
「そんなの教わってないよ。
だって、しゃべっている人の話って、ちゃんと聞かないと、意味分かんないじゃん」
なるほど。意味が分からないから聞く。“意味”を深く理解するために聞く。
・・・圧倒的な本質。
子どもは、問いの原型を持っています。問いの原型とは、自分自身に向ける本質的な問いのことであり、他者への問いかけの原点です。私たち大人は、この原型を、経験や責任の重圧の中で見失いがちです。
もしあなたが会議や対話の場で少しでも違和感を覚えたら、ぜひ心の中で呟いてみてください。
「なぜ今、相手はその行動を選んだのだろう?」
「そして私は、なぜその行動に反応しているのだろう?」
この問いは、自分の中に余白をつくる手助けとなるでしょう。そして、そこから生まれる洞察と問いが、きっと対話を促進させ、組織の可能性が少しずつ広がるに違いありません。
小学生の “洞察の回路”を、あなたも取り戻してみませんか。
この記事を周りの方へシェアしませんか?
※営利、非営利、イントラネットを問わず、本記事を許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。転載、その他の利用のご希望がある場合は、編集部までお問い合わせください。


