株式会社コーチ・エィにおいて行われた講演会の記録です。
予防医学研究者 石川善樹 氏
第1回 どの偉人から学ぶ?
2020年07月20日
2019年12月18日、コーチ・エィでは予防医学の研究者である石川善樹氏を勉強会にお招きしました。講演のテーマは『未来をつくる発想法』。当日の講演内容を4回にわたってお届けします。
第1回 | どの偉人から学ぶ? |
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第2回 | 豊かな発想法を持つ脳にするには? |
第3回 | イノベーションを起こすチームに不可欠な存在 |
第4回 | 芭蕉に学ぶ、未来をつくる発想法 |
「どちらが偉大か」を数値化する
どんなことでも偉人から学ぶに尽きます。私たち研究者にとって、偉大な研究者といえばニュートンやアインシュタインです。そこで、この二人のどちらがより偉大なのかという問いを立ててみました。
私たち研究者の採るアプローチは数値化です。そこで、ウィキペディアのデータを使って、ニュートンとアインシュタインのページが何ヵ国語に訳されているのか、そしてどれくらい多くの人に見られているのか、という2つの評価軸で、ヒストリカル・ポピュラリティ・インデックス(Historical Popularity Index: HPI)なるもので、ある意味偉大さが数値化されています。
アインシュタインのページは166の言語に訳され、2008年からの10年間で約9,000万回のページビューがあり、HPIは30.21となりました。対するニュートンは、191の言語に訳されており、ページビューは6,000万回でHPIは30.29と、僅差でアインシュタインを上回っています。
さらに、HPIを使って、古今東西、世界中の偉人ランキングを作ってみました。第3位にランクインしたのはHPI31.898のイエス・キリスト、第2位は、HPI31.989のプラトン、そして栄えある第1位は万学の祖 アリストテレスでした。
1981年、広島県生まれ。 東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がよりよく生きるとは何か(Well-being)」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。
『巨人の肩』にのるか、のらないか
ちなみに、ニュートンとアインシュタインはそれぞれ22位、23位と1ランク違いでした。
アイザック・ニュートンは、1676年にロバート・フックに宛てた書簡の中で、興味深い言葉を残しています。
「私が彼方を見渡せたのだとしたら、それは私が巨人の肩の上に乗っていたからだ("If I have seen further it is by standing on the shoulders of Giants.")」
というものですが、この『巨人の肩』とは過去からの蓄積のことを意味しています。要は、自分はこれまでに蓄積された見識の上に立って物事を見ているのだということです。
アリストテレスは、巨人の肩には乗っていません。万学の祖ですから、すべて最初から始めた人なのです。
私たち研究者にも二通りの生き方があります。過去の知見の上に乗るニュートン的な道と、過去の蓄積などは無視してすべてを最初から始める道の二つです。私自身は、30代前半までは前者のニュートンタイプで、とにかく文献を読み、調べ尽くすという研究スタイルでした。しかしある時、物事を知れば知るほど、そこから新しいアイデアが生まれにくく、どうしても狭い範囲に突き進んでしまっているということに気づきました。そこからは吹っ切れまして、いまはアリストテレスタイプで、何事も最初から始めようという姿勢を貫いています。
日本人のランキング第1位は?
改めてHPIを使った偉人ランキングを見てみると、ランクインする人物の時代が古いだけでなく、日本人もいないことがわかりました。そこで、今度は日本人に絞って偉人ランキングを作ってみることにしました。
第10位は豊臣秀吉、第9位が紫式部(トップ10での唯一の女性です)、そこから宮崎駿(トップ10で唯一存命)、宮本武蔵、初代天皇の神武天皇、徳川家康、葛飾北斎と続きます。そして第3位は昭和天皇、第2位が織田信長、そして気になる第1位は松尾芭蕉でした。
少し意外な結果で驚いたのですが、松尾芭蕉は101の言語に訳され、約300万回のページビューがありました。芭蕉といえば「古池や蛙飛び込む水の音」の俳句です。実際、訳されているどの言語でも、この俳句は「すごい!」と大絶賛されており、このわずか17文字で世界に知られる日本人第1位を獲ったことは、本当にすごいと思います。
そこで次に、芭蕉のすごさについてみていきましょう。
松尾芭蕉はなぜすごいのか
では、この俳句はどうしてすごいのでしょうか。私は、この俳句のすごさをある人から教えていただいき衝撃を受けました。
まず、この「古池」。直感的に、お寺の隅の方にある古い小さな池を想像する方もいらっしゃるかもしれません。でも「古池」は「池」ではないんです。江戸の人は「古池」と聞くと、かつて池だったもの、すなわち、もう水のない土を思い浮かべるのです。まさに「わび」を感じる部分です。次に「蛙」ですが、「蛙」は「鶯」と同じように鳴き声の美しい生き物として、『古今和歌集』以来、雅なるものの象徴です。
そこで、「古池や」ときたところに「蛙」が出てきて、江戸の人は頭の中に疑問が浮かびます。「土しかないところになぜ蛙がいるのだ」と。さらに芭蕉は「飛び込む」と続けます。古(いにしえ)から雅とされた蛙に「飛び込む」という、とても下品なことをさせるのです。江戸の人はこの時点で「なんてことを!」と震え上がるわけです。
そして最後に「水の音」と詠んで、ここで初めてそこには水があったという事実、わび・さびの「さび」が物事の本質として立ち現れます。つまり、人間が忘れ去ってしまった「古池」に、「蛙」、そしてミジンコや魚など、生命の溢れ出る瑞々しい感じがそこに活き活きとある、という様子が描かれているのです。
「わび」「さび」「雅」「下品」といったさまざまな展開を含みながら、白黒の世界が一気にフルカラーになるようなこの一句をもって、芭蕉は名声を残したのです。
なぜ芭蕉はこのようなことが出きたのか?次にみていくのは、クリエイティブな人やイノベーティブな人の脳内がどうなっているのかについてです。
(次回に続く)講演日: 2019年12月18日
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