コーチの薦めるこの1冊

本は、わたしたちに新たな視点を与えてくれます。『 コーチが薦めるこの一冊 』では、コーチが自分の考え方や生き方に影響を与えた本についてご紹介します。個性豊かなコーチたちが、どんな本を読み、どんな視点を手に入れたのか、楽しみながら読んでいただけるとうれしいです。


君は、どうやって自分を表現するのか(『アウトサイダー』)

君は、どうやって自分を表現するのか(『アウトサイダー』)

著者:コリン・ウィルソン
出版社:中央公論新社
発売日:2012/12/20

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君は、どうやって自分を表現するのか

誰しも、人生においてターニングポイントがあって、その瞬間には、誰かしらキーマンの存在があるのだと思います。私にとってのターニングポイントは 20代の初めに、パリで出会った一人の画家さんでした。

当時、私は、アメリカ留学に向けて準備をしていたのですが、アフガニスタン侵攻が開始され、安全を考えて、渡航を断念せざるを得ませんでした。それでも、どうしても日本の外に出てみたかった私に、両親が親戚の伝手をたどって、フランスのパリ行きを手配してくれました。行きたかった英語圏ではない国、しかも無理やり設定されたスケジュールに、渋々承知して成田空港を発ったことを覚えています。

パリでは、親戚の家を拠点にしつつ、1ヶ月ほど、ある画家さんご主人の一家の家に住まわせてもらう機会がありました。

写真家ドアノーも住んだ趣深いアパルトマンの最上階の部屋。毎朝、隣の部屋からは彫刻家の女性が泥をこねる音が聴こえてきて、夜になると遠くのエッフェル塔がきらびやかにライトアップされる、...あまりにもカラフルで眩しく、情熱的な世界とは対照的に無色で輪郭のぼやけた自分がとても空しくて、悔しかったのを覚えています。

当時は、

「心理学(研究者)で食べていこうかなあ」

と、ぼんやり将来を決めていたのですが、カラフルで線のはっきりした環境にいることで、その「ぼんやり」具合が余計にハイライトされてしまうようで、

「このままでよいのか?」

という焦燥感に駆られていた、というほうが正直な表現かもしれません。

そんなある夜、毎晩恒例の、家族みんなでワインを飲む時間に呼ばれると、描きかけの絵を見つめながら、炙った鴨肉(に蒲焼のタレ)を肴に焼酎を呑んでいた先生にボソっと聞かれました。

「君は、何しにパリに来たんだい」

その言葉には、

「お前はパリに何をしに来たのか」

という意味と、

「お前はパリに何をもたらしてくれるのか」

という、二つの意味が込められていました。

目的をもって、パリを選んで、パリにやってくる人々とは明らかに違う私のスタンスを、そのとき、先生は見抜いていたのでしょう。

そして、その言葉には、どんな状況であっても、人から影響されるだけでなく、人にも影響を及ぼす人間であれ、というメッセージが込めれていたと、今ならばわかります。

ですが、当時の私はそうとは思いもよらず、ただ反応的に、

「いや、ワタシ、別にパリで芸術をやりたいわけじゃないですし...」

と、無言でふてくされました。すると先生はそれを見逃さず、まっすぐ私を見て

「じゃあ、君はどうやって自分を表現するんだい」

と切り返してきました。

酔いも冷めてその場で凍りついたのを覚えています。

パリで見て、聴いて、触れてきた「芸術」という手段ではなくても、私が私自身を表現する方法はあるんだ、と気づかされた瞬間です。

それから、先生は黙って書斎に消え、

「これを読んでごらんなさい」

と一冊の本を渡してくれました。

それが『アウトサイダー/コリン・ウィルソン』です。

...そこには、サルトルやカミュやら、ヘッセに、カフカ、ニジンスキー、ヒューム、ゴッホにバーナード・ショーに至るまで、世の「偉人」達がいかに「異人」であるか、そして彼らの存在がいかに不合理でありながら究極であるか、が書かれていました。

アウトサイダーとは、(難しいけれど)一言で言うならば、「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間のこと。それゆえに、人間は「偉人」となり「異人」となるのだ、とウィルソンは言うのです。そんな「偉人」にして「異人」たちの究極さを次々と突きつけられ、どのページをめくっても

「さあ、お前はどうなんだ?」

を問われ続ける一冊。

画家の先生は、私はどういう人間であるのか、私はどうやって私を表現するのか、何より、その答えを私自身の手で見つけられるように、その想いを、この一冊の本に託してぶつけてくれたのだと思います。

それからほどなくして、パリから帰国した私は、研究畑を去ることを決めました。自分を「表現」するその手段は、今の延長で「ぼんやり」と決めることではないと思ったからです。

それからというもの、自分は何をしたいのか、人に何をもたらすことができるのか、それはどうやって表現できるのか・・・全力で考えて就職・転職をして、

今、私はコーチをしています。

今までも、これからも、私は何かの役割を果たしながら人と社会と関わっていくわけですが、そのとき頭に浮かぶのはきっと、いつも同じ問いなのだと思います。

「じゃあ、君はどうやって自分を表現するんだい」

とね。

【 追記 】

余談ですが、いま、手に入るのは中村保男氏の翻訳ですが、わたしが読んだのは福田恒存訳(絶版)です。

福田氏は思想家なので、ある意味、彼のフィルターがかかった言葉選び・文章運びが巧みで、すごみというか、迫ってくる感がすごく、常に「勧進帳」みたいなテンポで、ページが進んでいきます。

そんなわけで、個人的なおススメは、断然福田訳なのですが、残念ながら絶版ということもあり、現代の流れにも即して、中村訳をご紹介します。でも、もし手に入るようであれば、ぜひ福田訳を読んでみていただけると嬉しいです。


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