Hello, Coaching! 編集部がピックアップした本の概要を、連載形式でご紹介します。
コーチングのプロが教える 相手を認め、行動変容をもたらす技術
鈴木義幸
第2回 なぜアクノレッジメントか
2024年04月15日
コーチ・エィ 代表取締役社長 鈴木義幸による著書『「承認」が人を動かす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)が、2024年4月19日に発売されます。本書は、2002年から長きにわたってご愛読いただいた『コーチングのプロが教える「ほめる」技術』(日本実業出版社刊)を一部改訂し、今の時代だからこそお伝えしたいコミュニケーションの変化を新章として加え、新版として出版するものです。
発売に先駆けて、今の時代だからこそお伝えしたいアクノレッジメントの基本や、今回加筆した内容を本書から抜粋してご紹介します(全6回)。
第1回 | はじめに |
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第2回 | なぜアクノレッジメントか |
第3回 | リモートワークには「リサーチ」と「イマジネーション」 |
第4回 | チャットツールでもアクノレッジメントは伝わる |
第5回 | 相手の影響力を言葉にして伝える |
第6回 | 新しい部下をチームに溶け込ませるには |
第2回 なぜアクノレッジメントか
アクノレッジメントという言葉を英和辞書で引くと、「承認すること」と書かれています。この「承認」とは何でしょうか。
「ほめる」というのも、当然この承認の中に含まれます。
またアメリカ人のトレーナーが私たちに見せてくれたような、その人がどんな貢献をしたのかを覚えていて、それを明確に言葉にして伝えてあげることや、一人ひとりに関心を示し贈り物をすることなども承認です。
それ以外にも、声をかける、あいさつするといった何気ない日常のやり取りにいたるまで、「私はあなたの存在をそこに認めている」ということを伝えるすべての行為、言葉が承認にあたります。それが英語ではアクノレッジメントなのです。
さて、なぜ承認という行為はそれほど大事なのでしょう。
ビジネスの世界でも、部下をきちんとほめ認めることは、上司として必ず実践する必要のあることだと、ほとんどのリーダーシップ論、マネジメント論に書いてあります。子育ての本を読んでも、親は子どもをまずはほめてあげて、と出てくるし、学校の先生は教育論概論といった類の講義の中で、生徒を認めることは重要であると習います。
おそらく、感覚的にはそれがなくてはならないことだと誰しもわかっているでしょうが、改めて考えてみると、どうして承認したほうが良いのでしょうか。
「認めればそれだけ部下はやる気になりますから」
もちろんそうですよね。認めるという行為はやる気に大きく寄与します。ではなぜ人は認められるとやる気になるのでしょうか。
「そんなの当たり前じゃないか」
そう、ほとんどの人は経験的に認められればやる気になることを知っています。でも、繰り返しますが、なぜ。
「認められればうれしいですからね」
そのとおりですよね。認められれば気持ちは昂揚します。それではなぜ認められると、うれしいという感情が人という生体の中に発生するのでしょうか。これも冷静に考えてみると不思議なことではないでしょうか。
たまに「いや、俺は人から認められなくても、自分に自信があるから」なんて言う人がいます。周りにそういうことを言いそうな人がいたら、ちょっと顔を思い浮かべてみてください。そういう人に限って、その声と表情の裏に「自分のことを認めてほしい、ほめてほしい」という切実な願いが見て取れたりします。
やはり人は「他人」からちゃんと承認されたいものです。何回も言いますが、なぜ。
人は太古の昔から、協力関係をつくることによって生き延びてきた種です。好むと好まざるとに関わらず、ひとりだけでは生き抜いていくことはできませんでした。そのため人の生存本能は、絶えず自分自身が協力の輪の中に入っているかどうか、仲間はいるのかどうかということに対して、チェックをかけていると言われています。
自分が協力の輪の中に入っていないということは、ひとりぼっち、つまり「死」を意味するわけですから、これはもう細心の注意を払ってチェックをかけています。そして、そのチェックに対して「イエス!」で答えてくれるのが、他人からの「認めているよ」という言葉なのです。
出した成果や強みを認めるだけでなく、「おはよう!」「元気?」といった日々の声かけにいたるまで、「あなたがそこに存在していることに気が付いている」というメッセージのすべて、つまりアクノレッジメントが「生き残れるか?」という不安を払拭することにつながります。
そしてさらにアクノレッジメントの量が増えれば、相手にとってそれは不安を払拭するという、マイナスをゼロに戻すためだけの役割を担うのではなく、ゼロをさらにプラスへと高めるエネルギー源となっていきます。
逆に存在を認められているという実感が手に入らないと、もう頭は騒がしくなります。それは単に「認められていない」ではなくて、サバイバルできないかもしれない、という生存に対する危機ですから、内側は重くざわつきます。
不安で不安でしょうがなくなるでしょう。だからこそ人は「君がいることに気が付いているよ」と伝えてくれて、不安を取り除いてくれる人を求めます。
安心したいのです、みんな。
そして、安心したいという究極の欲求を満たしてくれた人に対して、人は絶大な信頼を寄せます。その人のリクエストには応えてあげたい、そう思うのです。
なぜならその人の期待に応えれば、またあの安心感が手に入るかもしれないのですから。うずくような不安をその瞬間は味わうことなく済むわけですから。
(続きはこちら)
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