コーチングカフェ

コーチが、日々のコーチングの体験や、周囲の人との関わりを通じて学んだことや感じたことについて綴ったコラムです。


大変なこと

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人はそれぞれ、異なったものごとの捉え方をもっています。同じ出来事に直面した時でも人によって反応が異なるのは、多くはそれぞれの捉え方の違いによるものです。

例えば、レストランで注文した料理が出てくるまでの時間。それを単に「待たされている時間」と捉えている人と、「会話を楽しむ時間」と捉えている人では、おそらく反応が違うでしょう。前者は長い待ち時間にイライラするかもしれませんし、後者は多少時間がかかってもイライラすることはないでしょう。

「大変なこと」は「嫌なこと」?

自分の捉え方について、印象深い体験があります。

同僚のコーチが、何の気なしに私に言いました。

「片桐さんは、大変なことを嫌なもの、避けたいものというふうに捉えているんだね。」

鳩が豆鉄砲を食ったようというのは、このことでしょう。私にははじめ、彼が言っていることの意味がわかりませんでした。「だって、大変なことっていうのは、当然に誰もが嫌で、誰もが避けたいことでしょう」と、そう思っていたからです。彼は続けます。

「片桐さんにとっては当たり前なことと思っているかもしれないけど、それも片桐さんの捉え方だよね。ほら、Aさんはいつも仕事が大変で、いそがしそうにしてるでしょ。でもね、Aさんにこの前話を聞いたら、Aさんは大変なほうがやりがいが感じられて、モチベーションが上がるんだって。」

目から鱗が落ちました。言われてみれば、確かにそういう捉え方もできます。そして実際にAさんの行動を見るとそのような捉え方をしているように見えました。

「大変なこと=嫌なこと」のような、自分にとっては疑いようがないと感じられることも、捉え方次第なのだということを強く印象づけられた体験でした。

捉え方によって反応が変わる、行動が変わる

なぜ、人によって捉え方が異なるのでしょう。そもそもどうして、人は捉え方というものをもつのでしょうか。もし、捉え方がないとどうなるか。

日々起こる出来事の一つひとつについて、どんな反応をするか個別にゼロから考えていたら、判断が大変です。エネルギーも時間も使います。そこで、同じような出来事や状況をひとくくりにして一つの「言葉」で表す。そして実際に、その「言葉」で言い表せる出来事・状況に直面した時に、おおむね正しい判断ができるよう、その「言葉」に「意味やイメージ」をくっつける。そして、その「言葉」につけている意味やイメージによって、自動的に目の前の出来事を解釈し、反応するという術を身につけたのでしょう。

この、「言葉にくっついたその人なりの意味やイメージ」が「捉え方」というわけです。

捉え方は、その対応方法でうまくいった場合や心地よい感情が起こった場合には強化され、うまくいかなかった場合や不快な感情が起こった場合は修正がなされる。属する社会の文化や組織風土など、周囲からの影響もあるでしょう。これまでの体験や見聞の積み重ねの結果として、その人独自の捉え方が作られていくものと考えられます。

コーチをしていても捉え方が話題になることがよくあります。一例をあげると、、、

(事象)   (捉え方)   (反応)
失敗 悪いこと 起こらないようにする
仕事 つらいもの すくないほうがいい
フィードバックされる 否定される もらいたくない

これを見て、人によっては当たり前に感じるかもしれませんが、これらも捉え方の一つにすぎません。同じ事象に対して、次のような捉え方も可能だからです。

(事象)   (捉え方)   (反応)
失敗 成功へのプロセス 起こって当たり前と受け止める
仕事 自分の力を発揮する機会 多いほうがいい
フィードバックされる 役立つ情報が得られる もらいたい

自分で考えて気づく場合もありますが、基本的に、捉え方には自分では気がつきにくいという性質があります。長年その捉え方をしていて、自分にとっての「常識」と化しているものの場合、違う捉え方をもつ他人から指摘でもされない限り、自分から気づくきっかけは、まずありません。

さらにやっかいなことには、気がついたとしても、変えようと思ってすぐに変えられるものではないことです。「大変なこと」に対する私の捉え方がそうです。同僚に指摘されたことによって気がついていながら、大変なことに直面すると、自動的に嫌な感情が湧いてきたり、よく考えもせずに避けてしまう傾向はいまだに強いと感じます。 

では、一度身についた捉え方は、絶対に変わらないのでしょうか。

捉え方が変わるには、頭で理解するだけではなく、これまでの体験を覆すほどの数多くの成功体験や年月が必要なのかもしれません。私の場合は「これは大変だ!」と判断するような状況が訪れるたびに、従来の捉え方に自動的に判断をゆだねるのではなく、異なる捉え方もあることを思い出し、意思をもって、あえて大変なほうを選ぶ体験を重ねる、というような、相当な意思と努力を要するプロセスのようにも感じます。

捉え方は変えられる

つい先日、コーチと目標に向けた現状の整理をしている中で、私の「大変なこと」の捉え方が話題になりました。私のこの捉え方についての話を一通り聞いた後で、コーチは私に質問しました。

「片桐さんは、いつからそういう捉え方をしてきたんですか?」

私は遠い過去の体験を一つ思い出しました。

それは中学生の頃のことです。当時、私は部活動をしながら週に2日ほど、学習塾に通っていました。毎日「大変だ」と思いながらも、大変さがある一線を越えると、「こんなにやっている自分はすごい!」とその大変さにかえって充実感を感じ、身体からエネルギーが湧いてくる自分がいました。コーチにそのことを話しているうちに、学習塾への道のり、楽しさすら感じていたときに見えていた風景や身体の感覚まで、ありありと思い出されました。

私も以前は「大変なこと」について別の捉え方をしていた時もあったのです。それは、自分の捉え方を変えられる可能性を実感できた瞬間でした。

自分の捉え方を変えるのはどうやら「大変なこと」のようです。それでも、自分の捉え方を知ることは意味があることのように思います。

あなたがまだ気づいていない、あなたの捉え方にはどんなものがあるでしょうか? 知ってみたくありませんか?


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