コーチが、日々のコーチングの体験や、周囲の人との関わりを通じて学んだことや感じたことについて綴ったコラムです。
違いを受け入れることの価値
コピーしました コピーに失敗しましたクライアントのAさんが、以前こんな話をしてくれました。
「部下のBさんは、本当に仕事が良くできるんです。ただ、一つ気になることがあって。考え方の違う相手に対してどちらが正しいか、白黒つけようとするんです。これだと他のアイディアが出なくなってしまうし、建設的な議論にならないんです」
自分の周りにも似たような人がいる、と思った方もいらっしゃるかもしれません。自分の意見の正しさを一方的に主張する人とは、なかなか仕事がしづらいものです。
一方で、あなた自身を振り返ってみて、こんなふうに思うことはないでしょうか。
「なぜ何度も話しているのに、わかってくれないんだろう?」
「この人は、なぜ自分の役割を果たさないんだろう?」
「この人、話は聞いてくれるけど、結局、何もしてくれないよな」
これは、あなたのどのような前提から出てきているものでしょうか。
現実は人の数だけ存在する
人は誰しも、前提をもって生きています。前提とは、たとえば「会社とはこういうものである」「上司とはこういう役割である」「部下はこうあるべきだ」といった、その人なりの考え方です。言い換えれば、その人が「どのように世界を捉えているか」ということです。こうした前提は、その人が経験してきたことから構築されており、正解・不正解のあるものではありません。
人はそれぞれ歩んできた人生が違いますから、もっている前提も異なるということです。共通点もあるかもしれませんが、すべてが一致することはないわけです。しかし厄介なのは、私たちは知らないうちに、自分が考える現実が、唯一の現実、つまりそれが正しいと、思い込んでしまうことです。
職場や日常における諍いなど、ちょっとしたぶつかり合いは、たいてい前提の食い違いから生じます。それぞれが、他人も自分と同じ前提をもっていると勝手に思い込んでしまうことが背景にあります。
正しさの主張
人は関わりの中に生きています。よって、他人から影響を受け、他人に影響を与えています。だからこそ「私たちは同じだ」と感じると安心感を覚え、「あなたと私は違う」と感じると、不快感や不安、不満を感じます。
それが理由で私たちは、本能的に「違い」による緊張状態を極力回避しようと、共通点に目を向けることを優先し、違いに向き合うことを諦める傾向があります。
しかし、私たちには共通することもあれば、違うこともあるわけです。逆に違いがあることは当然です。それなのに、違いに向き合うことを避けている。
違いを避けることで手に入れているのは、安心感です。では、それによって失っているものはないのでしょうか?
会話と対話
コーチ・エィでは、会話と対話を以下のように定義しています。
- 会話とは、二人または複数人が互いに話をすること。それぞれの事情や経歴を前提に言葉を交わし、互いの共通項を見つけ、安心感を醸成することを主目的とするコミュニケーション。
- 対話とは、二人または複数人が互いに話をすること。それぞれが培ってきた経験や解釈、価値観をもとに「違い」を持ち込み、互いの「違い」を顕在化させながら新しい「意味」「理解」「知識」を一緒につくり出す双方向なコミュニケーション。互いの違いが明らかになることにより、緊張感や違和感が生じることもある。
違いを受け入れることの価値
このように「違い」は、新しい気づきやアイディアを生む可能性を秘めています。誰かと話すうちに、お互いの考えや解釈の「違い」をきっかけに、気づきを得たり、新たなアイディアにつなげることができた、といった体験があなたにもあるのではないでしょうか。
お互いの「違い」をより多くの人と活かし合うことができれば、新しい解釈やアイディア、さらには行動変容を生み出し、共に未来を創っていくことができます。
ただ、自分の「正解」にこだわっている限り、「違い」を活かすことはできません。自分の「正しさ」を手放し、どんな違いがあるのかに意識を向ける。それが「違い」を扱う「対話」の第一歩です。
あなたは自分とは違う考えに触れたときに、どんな気持ちになりやすいですか?
あなたがそのような気持ちになったとき、どのような行動を起こす傾向がありますか?
(日本コーチ協会発行のメールマガジン『JCAコーチングニュース』より、許可を得て転載)
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