米国コーチング研究所レポート

ハーバード大学医学大学院の外郭団体、「コーチング研究所/Institute of Coaching (IOC)」所蔵のコーチングに関する論文やリサーチ・レポート、ブログなどをご紹介します。


エキスパートが抱えるジレンマ

【原文】Expert's Dilemma | by Margaret Moore
エキスパートが抱えるジレンマ
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最近私は、中国から来た病院の院長たち(全員、医師)に、変革型リーダーシップとコーチングのワークショップを行った。その際、リーダーシップとは、スキルを身に着けた専門的なパフォーマー(高い能力を持ち、堂々とした態度をとる人物)と、カルティベーター(部下が自分の道を見つけられるように、謙虚にサポートする人物)のバランスを意識的にとる人のことだ、と述べた。このようなバランスがある人は、自信に満ちたエキスパートとしての立場と、他者の多角的な成長を後押しする献身的なファシリテーターとしての立場をうまく切り替えることができる。そして、そのことを意識して、より高いレベルのリーダーシップに到達できるのである。

エキスパートであることの弊害

医学教育や医療現場の文化において医師を育成することは、専門技術と能力を尊重する医師としてのアイデンティティを形成することにつながる。成長プロセスというのは、本来面倒で厄介なものである。ところが、専門技術と能力を重視することは、そのプロセスから目を背けることになりかねない。さらに、医師が全責任を担うという態度は、医療業務においては有効であるが、患者が行動を自律的に変える場合には役に立たず、専門知識や統制力が足りないチームや組織を指揮する場合にも適さない。

こういった事態は、医師や健康関連のエキスパートに限ったことではない。職業上の地位、育児、趣味など、仕事や生活の分野でアイデンティティを確立したあらゆる人たちに当てはまる。自分自身のエキスパートとしてのアイデンティティに執着しすぎると、他者が出発点を見つけ、前に進むことをサポートすることが難しくなる。エキスパートとしての義務感があると、つまり誠心誠意をもって自分の専門知識を他人に伝えようとしすぎると、他人の成長を妨げることになりかねないのである。

コーチになるプロセスを経験すると、エキスパートのアイデンティティを手放し、他者の成長を後押しする方法を学べるようになる。ただしその前に、新米コーチは、エキスパートのアイデンティティがなぜ他者をサポートすることの妨げになるのかについて学ぶ必要がある。以下に、エキスパートの役割における3つの障害を紹介したい。

障害1:人の自律性を阻害する

心理学者のエドワード・デシ(Ed Deci)氏とリチャード・ライアン(Rich Ryan)氏が1,000件以上もの研究をもとに提唱した「自己決定理論」は、人間の動機付けに関する理論として最も有名である。この理論では、人が持つ一番の動物的な要求は自律性であると考える。つまり、人は自分自身で判断し人生のハンドルを握ることを必要としている、とある。エキスパートのアプローチでは、外発的動機付けが主な方法であるため、自律性を育む出すことができない。ここでいう外発的動機付けとは、やるべきことをアドバイスしたり指示することである。つまりそのアプローチでは、喜ばせたり衝突を避けたりして過度に相手に合わせてしまう態度、または反抗したり、反逆したりする態度のいずれかを生み出してしまう。このような方法では、安定してモチベーションを引き出すことはできない。

障害2:アドバイスを聞く準備ができていない

ジェームズ・プロチャスカ(Jim Prochaska)氏を中心とした心理学者が提唱した「行動変容ステージモデル」では、多くの人が行動を変える準備ができない、と述べている。つまり、タイミングによっては行動を変える根拠よりも行動を変えない根拠の方が強いのだ。進んで行動を変えようとする意識を高めるのは、「内発的動機付け」と「自信」である。「内発的動機付け」は、エキスパートに強要されたものでない必要があり、また、「自信」は数々の課題を解決するための戦略を練ることで生まれる。課題も戦略も、エキスパートの目には映らないものである。そのため、動機付け面接の専門家であるロバート・ロード(Robert Rhode)氏はエキスパートに次のようにアドバイスしている。
「売り込みはやめて、内在するものを釣りあげよう」

障害3:自己発見と学習の機会を奪う

含蓄のあるエキスパートのアドバイスを伝えることに比べると、他者の学習や成長を促す方が時間がかかるように見えるかもしれない。しかし、アドバイスを与えるだけでは、その人の持続的な変化を本質的に後押しすることにはならない。脳を根底から変えるには、新たな思考、見解、発想、経験を自ら生み出す必要がある。そのためコーチは、相手が新たな方法で新たなアイデアを生み出せるように、オープンで考えさせる質問をし、話によく耳を傾け、創造的に考えることに注力する。そうすることで、相手の気持ちと行動を少しずつ変えることができるのである。

エキスパートとコーチのバランス

私は中国人の病院長たちに、次のようなことを語った。まず、対照的な2つの立場のバランスを図ることが重要である――それは、エキスパートであることとコーチであること。また、エキスパートあるいはコーチになるタイミングを学ぶことも同じくらい重要であると話した。最新のリーダーシップは、エキスパートのアイデンティティのスイッチを「オフ」にしたり、内面にあるファシリテーターのスイッチを「オン」にしたりして、これらのスイッチをうまく利用する能力を身に着けるであるとしている。このように話すと、病院長たちは微笑みながらうなずき、感謝の意を表してくれた。

ワークショップで彼らから手渡されたものを見て、私はハッと息をのんだ。それは、朱印があちこちに押された絹布に記された、貴重な老子の道徳経だった。この帛書は、豪華な錦織の箱に入れられていた。ページをめくると、紀元前4世紀の格言が目に飛び込んできた。

「究極の指導者とは、彼らが任務を遂行し、仕事を完了させたとき、人々がみな『自分自身で達成した』と言う、そんな指導者である。」

エキスパートとカルティベーターのバランスはとても大切だ。これは賢人の英知であり、その重要性はエビデンスにより裏付けられている。リーダーとして、前向きに、そして上向きに進もうではないか。

【筆者について】

マーガレット・ムーア(Margaret Moore)氏は、米国、英国、カナダ、フランスにおけるバイオテクノロジー業界で17年のキャリアを持ち、2つのバイオテクノロジー企業のCEO及びCOOを務めた。2000年からは、健康関連のコーチングに軸足を移し、ウェルコーチ・コーポレーション(Wellcoaches Corporation)を設立。ムーア氏は米国コーチング研究所(IOC:the Institute of Coaching)の共同創設者および共同責任者であり、ハーバード大学エクステンション・スクールでコーチングの科学と心理学を教えている。

【翻訳】Hello, Coaching! 編集部
【原文】Expert's Dilemma (2018年4月24日にIOC BLOGに掲載された記事の翻訳。IOCの許可を得て翻訳・掲載しています。)


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