ハーバード大学医学大学院の外郭団体、「コーチング研究所/Institute of Coaching (IOC)」所蔵のコーチングに関する論文やリサーチ・レポート、ブログなどをご紹介します。
今、なぜインスピレーションが重要なのか
2021年09月28日
創造性や幸福感はとらえどころのないもので、こちらから接近して獲得するというような単純なプロセスで手に入れることはできない。むしろそれらは、私たちが自ら実現させたり、実を結ばせる行動をとることで得られるものであり、このプロセスにおいてインスピレーション(ひらめき)が重要な役割を果たすのである。以下のレポートは、2014年のスラッシュ氏らによる研究論文に基づいている。
はじめに
今、私たちはパンデミックという長いトンネルから抜け出し、パンデミック後の世界を形成するために、不確実性やリスクといった多くの課題を克服しなければならない。そのような中、インスピレーションというテーマは、かつてないほど重要な意味をもつ。インスピレーションという言葉は決して新しいものではなく、何千年もの間、私たちの経験における神秘的な現象を表す言葉として使われてきた。しかし、モチベーションを高める要素としてのインスピレーションは、最近まであまり広くは受け入れられず、またそれが適用された定義や科学的研究はなかった。
ここでは、社会的人格心理学者であるトッド・スラッシュ(Todd Thrash)氏とその同僚が2014年に発表した『The Psychology of Inspiration(インスピレーションの心理学)』という重要な研究論文を紹介する。この学者グループは10年以上にわたり実験的研究を行い、インスピレーションを測定するための有効な手段を作成し、インスピレーションがどのように作用するかについての理解を深めた。彼らの研究は、ホルツァー(Holzer)氏(IOCフェロー)、スパタロ(Spataro)氏、バロン(Baron)氏の著書『Dare to Inspire』でさらに進化した。これらの科学的発見は、コーチにとっては、インスピレーションを生み出すための新しいコーチングツールとなっている。
なぜそれが重要なのか?リーダーをはじめとしてコーチングのクライアントは、インスピレーションやサポートを求めてコーチングを受けることが多い。その理由は、彼らが自分の気持ち、考え方、行動において、現在の自分から理想の自分への変革を切望しているからだ。ここでは、スラッシュ氏によるインスピレーションの定義とその働きを、ホルツァー氏らがまとめた調査結果と合わせて、インスピレーションの適用に関する重要な洞察を行い、コーチングのためのヒントを探っていく。
インスピレーションの謎を解く
インスピレーションというと、ミューズ(妖精)のように不意に現れる一瞬の感情だと私たちはとらえがちだが、スラッシュ氏たちは、インスピレーションを一時的な感情(状態)と性格やマインドセット(特性)の両面から研究した。彼らは、インスピレーションの3つの段階を定義した。
- 喚起:刺激に対する自発的な反応が起きる段階
- 超越:喚起されたものが、これまで見えていなかったものやより高い可能性を照らし出す段階
- 行動へのモチベーション:自分の新しいアイディアや可能性を実現するために行動しなければならないと感じる段階
彼らは、インスピレーションには、「触発される(inspired by)」という意味と、「行動する気になる(inspired to)」という両方の意味が含まれると主張する。私たちが「触発される」際には、新しいアイディアや可能性に目覚め、超越の段階へと進んでいく。また、「行動する気になる」とは、まさしく行動を起こしたい、創造したいという欲求のことだ。このように、超越と高いモチベーションを含めて定義すると、インスピレーションがいかに大きな進歩や成果に繋がるかがわかる。「進化論的な観点から見ると、より良い可能性を垣間見たときに、それを見失う前に素早く行動に移したいというやむにやまれぬ動機により、急速に変化する社会や文化の中で人間の適応力を高めていく」ということができる。
2010年にスラッシュ氏とエリオット氏らは、インスピレーションは適応に繋がるだけでなく、ヘドニック(感覚的・感情的な喜びに関連する幸福感)とユーダイモニック(意味や目的に関連する幸福感)という異なる形態の幸福感の形成に役立っているとしている。「因果関係を推論するために最適化された一連の研究では、インスピレーションは一貫して、ポジティブな感情、生活満足度、活力、自己実現の向上につながっている」。さらに2012年のミリャフスカヤ(Milyavskaya)氏らによる新しい研究では、インスピレーションが目標への進展を予測することが示された。ほとんどのコーチングが、人生の満足度、目標設定と達成、変革的成長などのテーマに焦点を当てていることを考えると、インスピレーションがコーチングの主要な成果の強力な推進力となり得ることがわかる。
性格的な特徴や傾向によって、インスピレーションが得られやすくなることがある。ビッグ・ファイブ・パーソナリティの特性である「経験を受け入れやすい」人は、新しい可能性を志向しやすくなる傾向がある。しかし、鍵となる行動や習慣があれば、さらにインスピレーションが起こりやすくなる。インスピレーションが訪れた時に、それに気づいて行動を起こすことで、効果を高めることができる。「書く価値のあるアイディアが生まれれば、書けばよい。追求するに値する目標があれば、光が消える前に追求すればよい」。このように、インスピレーションを求めて育てるという考え方は、「インスピレーションはミューズのように自分ではコントロールできない、儚いもの」という一般的な概念とは相反するものである。
さらに最近では、ホルツァー氏らが定性調査を行い、組み合わせることでコーチングに簡単に応用できる、インスピレーションの3つの要素を定義している。
- 可能性(新しいアイディアを生み出すこと)
- 無敵さ(行動する自信と勇気)
- 意図的な実践による長期的な持続性(何が自分を奮い立たせるのかを意識し、その機会を探し、それが生まれた時に育てること)
これらのステップを経て、インスピレーションが火付け役となり、感情、考え方、行動を変化させていく。クライアントは、可能性を通じて、目に見えない潜在能力に目を向けるようになり、無敵感を得て、自信と勇気を持って行動するようになる。この本の著者は、インスピレーションとは、体現し実践することのできる考え方と感情の状態であると定義している。
スラッシュ氏のチームによる研究とホルツァー氏らの研究を統合すると、コーチングでインスピレーションを喚起する際に、以下に紹介する5つの重要なポイントに注目することが必要である。
コーチングのためのキーポイント
コーチングによって意識、モチベーション、幸福感を高めるために、インスピレーションを育むことは重要なツールとなり、またコーチングのパフォーマンスとインパクトを向上させる。インスピレーションは、他の感情と同様、伝染していく。コーチである私たちは、自らのインスピレーションによって他の人を鼓舞することができるのだ。これは、親、指導者、教育者にとっても重要なことで、自分自身のインスピレーションを見出すことで、他の人にもインスピレーションを与えることができるのである。コーチはどのようにしてインスピレーションを生み出すことができるだろうか。
- インスピレーションは、幸福感とパフォーマンスを向上させる
クライアントが前向きに変化するには、インスピレーションを必要とする。その前向きな変化は、クライアントにとって共鳴できて意味のある必要があり、もしそうであれば、彼らは今までの行動や考え方を超えていくことができる。インスピレーションを得たクライアントは、自分自身の成長のためのクリエイターやエージェントとなり、今の状況から新しいレベルの意識やパフォーマンスへと移行していくことができる。このようにして、インスピレーションは、幸福感とパフォーマンスの向上に貢献するのだ。
- インスピレーションは変化への扉を開く
インスピレーションがない場合、私たちは、発見、意味、情熱、創造性といった人間的な側面ではなく、パフォーマンスの機械的な側面だけに焦点を当てがちだ。インスピレーションは、新たな可能性を開き、意味のある目標や変化に向けて行動することをクライアントに促す。インスピレーションは、考え方や行動が持続的に変化するための扉を開く。
- インスピレーションは、受容的なプロセスであると同時に能動的なプロセスでもある
スラッシュ氏らが発見したインスピレーションに関するパラドックスの一つは、インスピレーションは受容的なプロセスであると同時に能動的なプロセスでもあるということだ。受容性と能動性のバランスが必要となる。つまり、インスピレーションが起こる条件を整えてそれを待つこと(受容性)と、積極的にそれを求めること(能動性)が必要となる。
- インスピレーションは、困難な経験や感情から生まれる
インスピレーションはポジティブな感情や経験と考えられているが、困難な感情や状況の中で生まれることもある。ホルツァー氏らの研究では、障害の克服がインスピレーションの生まれる重要な要素であることが明らかになっている。コーチは、クライアントが困難な状況を理解し、そこから意味を見出し、新たな方法で行動を起こすきっかけを作ることができる。
- インスピレーションは個人的なものである
インスピレーションとは、文字通り比喩的にも「空気を取り込む」という意味で、アイディアや状況に新しい命を吹き込むような感覚といえるだろう。これは、「吹き込まれる 」という意味ではない。スラッシュ氏は、「インスピレーションを他者に吹き込む」という行為がうまくいかないことを発見した。ホルツァー氏らの重要な発見は、インスピレーションは指紋のようなものであり、何にインスピレーションを受けるかは人それぞれであるということだ。クライアントは、どこでどのようにしてインスピレーションを得るのか、また、何にインスピレーションを感じるのかを自分自身で発見していく。同様に、リーダーは他者を強制的に鼓舞することはできないが、他者のために、彼らが自分を鼓舞できるようなスペースと機会をつくることはできる。
1) まず自分自身をコーチする
いつ、どのように自分自身を鼓舞しているのか、また、誰のどのようなインスピレーションが、自分の人生や仕事にダメージを与えているのか、好奇心を持って自分を振り返ってみよう。新たな可能性、より超越した状態への高揚感、インスピレーションがもたらすモチベーションの向上など、自分の最高のインスピレーション体験を紐解いてみよう。もし、自分を奮い立たせてくれる状況、人、行動、考え方にある種の傾向があることに気づいたら、それらをより定期的かつ意図的に探し出すことができる。また、コーチングの過程でインスピレーションを感じやすくなったり、感じにくくなったりすることがあれば、それが他者へのコーチングの場面でどのような影響を与えるかを考えてみよう。
2)クライアントにインスピレーションを与える
クライアントと一緒に、彼らの仕事や人生におけるインスピレーションの役割を探り、解明しよう。インスピレーションを得た最高の経験はどんなものだったか?いつ、どのようにインスピレーションを求めているのか?どこでインスピレーションを得ているか?持続可能な努力と変化を支える、彼ら自身のインスピレーションの例はあるのか?インスピレーションは自分(および他者)にどのような影響を与えるか?どのような種類のインスピレーションが、クライアントの現在の願望を支えるだろうか?変化、さらには変革を追求するために必要なインスピレーションはどこで得られるのか?
このような質問をしながら、彼らが共感しその表情が明るくなる瞬間に気づければ、彼らがより生き生きとしている時はいつかに注意を向けることができる。そうすることで、何が彼らを奮い立たせるのか、どんなときにインスピレーションを感じるのかを、彼ら自身が意識できるようになるのである。
「リーダーとなる可能性が最も低いと思われている人たちこそが、
結果的に最も多くの人にインスピレーションを与えるようになる。
平凡な人々とその勇気ある日々の行動が、やがて変化をもたらし、
すべてを変えてしまうのだ。」
ーアイジェン・プー
参考文献
Thrash, T. M., Moldovan, E. G., Oleynick, V. C., & Maruskin, L. A. (2014). The psychology of inspiration. Social and Personality Psychology Compass, 8(9), 495-510.
Belzak, W. C., Thrash, T. M., Sim, Y. Y., & Wadsworth, L. M. (2017). Beyond hedonic and eudaimonic well-being: Inspiration and the self-transcendence tradition. In The happy mind: Cognitive contributions to well-being (pp. 117-138). Springer, Cham.
Holzer, A., Spataro, S., & Baron, J. G. (2019). Dare to Inspire: Sustain the Fire of Inspiration in Work and Life. Da Capo Lifelong Books.
Milyavskaya, M., Ianakieva, I., Foxen-Craft, E., Colantuoni, A., & Koestner, R. (2012). Inspired to get there: The effects of trait and goal inspiration on goal progress. Personality and Individual Differences, 52(1), 56-60.
Thrash, T. M., Elliot, A. J., Maruskin, L. A., & Cassidy, S. E. (2010). Inspiration and the promotion of well-being: tests of causality and mediation. Journal of personality and social psychology, 98(3), 488.
筆者について
マーガレット・ムーア(Margaret Moore)氏は、米国、英国、カナダ、フランスにおけるバイオテクノロジー業界で17年のキャリアを持ち、2つのバイオテクノロジー企業のCEOおよびCOOを務めた。2000年からは、健康関連のコーチングに軸足を移し、ウェルコーチ・コーポレーションを設立した。ムーア氏は米国コーチング研究所(IOC:the Institute of Coaching)の共同創設者および共同責任者であり、ハーバード大学エクステンション・スクールでコーチングの科学と心理学を教えている。
共同執筆者
アリソン・ホルツァー (Allison Holzer) (IOC フェロー), M.C.C., M.A.T. & M.F.A.
ガブリエル・ジョイス (Gabrielle Joyce), L.M.S.W.
ビル・クロッカー (Bill Crocke), M.S.P.O.D.
ジャネット・パッティー(Janet Patti), Ed.D.
【翻訳】Hello, Coaching! 編集部
【原文】Generating Inspiration in Coaching(2021年6月20日にIOC Resources(会員限定)に掲載された記事の翻訳。IOCの許可を得て翻訳・掲載しています。)
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