米国コーチング研究所レポート

ハーバード大学医学大学院の外郭団体、「コーチング研究所/Institute of Coaching (IOC)」所蔵のコーチングに関する論文やリサーチ・レポート、ブログなどをご紹介します。


自己実現の科学をアップデートする

【原文】 Updating the Science of Self-Actualization
自己実現の科学をアップデートする
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「すべての人間は、ふたつの力を持っている。ひとつの力は、恐怖の感情から安全と防御に固執し、後方に後退する傾向があり、過去に固執する。(中略)チャンスをつかむことを恐れ、すでに持っているものを危険にさらすことを恐れ、独立、自由、分離を恐れる。もう一方の力は、自己の全体性と独自性に向けて、また、その人のすべての能力が完全に発揮されることに向けて、そして、外界に直面するときの自信に向けて人を駆り立てる。同時にその力は、深淵で、リアルな、かつ無意識の自己を受け入れることができるように人を促す。(中略)この自己を防衛する力と成長させる傾向の間に横たわるジレンマや対立は、実存主義的であるが、現在も未来永劫も人間の最も深い本質に内在するものである。」

アブラハム・マズロー(1962/1998)

はじめに

今から70年以上前、心理学者のアブラハム・マズローが短い論文を発表した。その論文の中で彼は、人間のモチベーションを理解するための新しい方法を示し、今ではそれは「欲求の段階」と呼ばれるようになった。マズローの研究は、人間が自己実現に向かって「上のステージへ」進む前に、安全(security)、所属(belonging)、安心(safety)といった基本的な欲求を満たす必要があるという考えに基づいていることから、心理学者やコーチにとっても基礎的な考え方となった。マズローの理論についての問題点は、以下のふたつが広く認識されている。

  1. 欲求の段階において、人間の発達欲求については提唱することがなかった。
  2. マズローの「発達上」の欲求と説明されているものは健全なプロトコルで実証的に研究されていない。

今日、コーチングが真に科学的根拠に基づく職業として広まってくると、自己実現は人間の繁栄を支えるすべての次元の重要な原理として活用できることが明らかになってきている。また自己実現は、コーチがクライアントの成長、意味づけ、バランス、喜び、幸福への探求に向けてサポートするうえで、他の発達上のモデルとともに、エビデンスに基づいた重要な要素または核となっている。

心理学者のスコット・バリー・カウフマン(Scott Barry Kaufman)氏は、マズローの研究を21世紀版にアップデートすることに取り組む中で、1950年当時、マズローが正しい道を歩んでいたことを実証的に証明することに挑んだ。カウフマン氏と彼の研究チームは、自己決定理論(デシ氏&ライアン氏, 2000)、好奇心(キャシュダン氏 & シルビア氏, 2011)、「心理的幸福(psychological well-being)」(リフ氏, 1989)といったウェルビーイングの領域など、モチベーションと個人の成長に関する最近の経験的研究を統合し、自己実現尺度(CSAS)と呼ばれる新しい30項目の尺度を開発し実験した。新たに検証された自己実現の局面として、「自己実現の特徴を有する被験者は、基本的欲求として定義されていることの充足よりも、成長、探索、人間愛に動機づけられている 」ことが実証されている。

また、自己実現は、生活への満足感、自己受容、ポジティブな対人関係、環境への適応、自己成長、自律性、生きがい、自己超越体験といったウェルビーイングに関する最近の研究および指標と密接な相関関係があることが証明されている。これらの研究テーマは、人生において最大の苦しみに直面しているようなクライアントに対して、コーチが実証に基づくエビデンスを示せる機会となっている。特に、近年の世界規模のパンデミックがもたらした経済、社会的正義、そして健康における激変を鑑みると、かつてマズローが人間の成長の基礎と考えた健康、安全、安心といった生活における満足感を満たすための領域で、多くの人が大きな後退を強いられている状況だ。

実際、私たちはマズローの実績を長年にわたってクライアントと共に活用してきた。そして今、私たちはこの深遠で基本的な理論を、欲求の段階にとらわれず、より柔軟で流動的な人間発達のための統合的なアプローチとしてアップデートしようとしている。カウフマン氏が「ピラミッドよりも帆船の比喩がふさわしい」と表現するように、人間は自己実現に向けて、人生の課題(安心、安全)と実現させようとする動機(目的、意味)を織り交ぜた非線形の道を歩み、自己超越への旅に出るのだ。

カウフマン氏は近著、『超越:自己実現の新しい科学(Transcend: The New Science of Self-Actualization)』(2018)で、研究結果と複数の事例を紹介することによって、マズローの理論はアップデートが必要であるという自身の主張を裏付けている。本記事を通して私たちは、この新しい視点を支えるエビデンスの根拠を要約し、コーチがこの重要な研究を用いてどのようにクライアントとの関わりをサポートできるかを提案したい。

研究内容

カウフマン氏が語っているように、彼が設計した研究の枠組みは、主にふたつの目的を持っていた。

  1. マズロー(1950)が提唱する自己実現の特徴は、貧困の視点が欠けていることと、健康、成長、幸福度の状態がかなり豊かであることを、現代的な人格とウェルビーイングに関する様々な尺度を用いて、実証的に示すこと。 
  2. 現代に即した自己実現の特徴を測定できる尺度を作成すること。

この研究には、アマゾン社メカニック担当(ウェブサービス部門)、522名が参加した。本研究は、ペンシルバニア大学の機関審査委員会の承認を得ている。ほとんどの参加者(72%)が白人と回答しているが、その他の人種や民族は様々であり(アジア人=88、ヒスパニックまたはラテン系=49、黒人=44)、性別はほぼ均等であった(男性=267、女性=262)。平均年齢は36.6歳(SD=11.5)で、18歳から74歳までの幅がある。自己実現尺度は、マズロー(1950)の「自己実現している人の特徴」のリストをそのまま転用したもので、相互に関連する10種類の自己実現の特徴を示す30項目の尺度である。最終的な10個の特徴(検証比率を伴う)は、記述子(特徴量)のサンプルとともに以下に記す。

自己実現している人の特徴

1. 感謝する気持ちが継続している(α=0.77)

  • 私は、人生の基本的な恵みを、畏敬の念、喜び、驚き、そして恍惚感さえもって、何度も何度も新鮮に、純粋に感謝することができる。しかし、その体験は、他の人にとっては陳腐化したものであるかもしれない。夕焼けは、いつ見ても美しい。
  • 人生における幸運や善については、何度経験しても感謝の念を抱く。

2. 受容している (α = 0.71)

  • 私は、自分の欠点も含めて、自分のあらゆる面を受け入れている。
  • 私は自分の癖や欲望を恥じることなく、謝罪することもなく、すべて受け入れている。
  • 私は他者や、その人特有の癖や欲求を無条件に受け入れている。

3. 自分自身でいる (α = 0.74)

  • 私は、不名誉な環境や状況でも、自分の尊厳と誠実さを保つことができる。
  • 私は、自分の中核となる価値観を保つために挑戦が必要な環境においても、それに対して忠実であり続けることができる。私は、自分の行動に責任をもっている。

4. 平常心がある(α=0.79)

  • 多くの人にとっては迷惑なものであっても、私は影響されずに、平気でいられることが多い。
  • 私は、激しい衝撃、打撃、窮乏、挫折に直面しても、比較的安定していられる。
  • 私は、人生において避けられない浮き沈みを、優雅に、受容的に、そして平静に受け止める傾向がある。

5. 目的がある (α = 0.86)

  • 私は、人生における特定の使命を達成するために、大きな責任と義務を感じている。
  • 私は、この世の中で果たすべき重要な任務があるように感じている。
  • 私には、人類のためになるような人生の目的がある。

6. 現実を効率的に認識する(α=0.65)

  • 私は、現実を明確に認識できることが多い。
  • 私は、いつも人や自然の本当の姿に触れようとしている。
  • 私は、世の中の現実にできるだけ近づこうとしている。

7. 人道主義である(α=0.82)

  • 私は、すべての人々に対して深い同一性を感じる。
  • 私は、すべての人々に対して大きな共感と愛情を感じている。
  • 私は、人類を助けたいという純粋な気持ちを持っている。

8. ピーク体験がある(α=0.77)

  • 私は、自分にも他人にも新しい地平線や可能性が広がっていると感じる体験をよくする。
  • 私は、自分の利己的な気がかりを深く超越するような体験をよくする。
  • 私は、この地球上のすべての人や物との一体感を感じるような体験をよくする。

9. 道徳的直観が優れている(α=0.72)

  • 私は、自分の道徳的判断を信頼しており、それについて必要以上に考え過ぎることはない。
  • 私は、日常生活の中で、善悪の観念を強く持っている。
  • 私は、自分が何か間違ったことをしたとき、「心の底」ですぐにわかる。

10.創造的な精神を持っている(α=0.77)

  • 私は、概ね創造的な精神を持っており、それが私のすることすべてに影響を及ぼしている。
  • 私は、すべての仕事に対して、概ね創造的な態度をとっている。
  • 私は、子どものような自分自身の自発性に触れることが頻繁にある。

結論

多くのことが結論として導かれる中で、この研究が示したのは、モチベーション、創造性、好奇心に関する現在の科学と、マズローの基礎的な考え方が、以下のような分野で完全に統合されていることである。

例えば、以下のようなことが挙げられる。

  1. 好奇心:心躍る探策、ストレスへの耐性、社会的好奇心、スリルを求めることといった、好奇心に含まれるすべての要素が、自己実現と強い相関関係を示した。「心躍る探策の自己実現に対する相関関係は、他の好奇心の要素の3倍の強さであった。
  2. ウェルビーイング:自己実現は、生活への満足度および心理的幸福感のすべての尺度と相関関係があった。
  3. 心理的欲求:自己実現は、自己決定理論(ライアン氏 & デシ氏, 2000)が提唱する3つの欲求(関連性、能力、自律性)の充足とプラスの相関関係を示し、これらの欲求が不満足であるとマイナスの相関関係を示した。
  4. 職場での成果:自己実現は、職務レベル、職務遂行能力評価、仕事への満足度など、職場に関連するすべての成果と強い相関関係があった。自己実現は、仕事への満足感と一貫して相関することがわかっている4つの「ビッグファイブ」特性:外向性、神質症傾向、協調性、および堅実性(ジャッジ氏、ヘラー氏&マウント氏 2002)により調整された後でも、仕事への満足感とは強い相関関係を保ったままであった。
  5. 創造性:自己実現は、13の領域において「平均的な人よりも才能、能力がある、または訓練を受けている」という自己認識と強い相関関係があった。
    創造的達成に関しては、自己実現はユーモアの領域、および11の領域におけるすべての創造的達成度を合計したものと強い相関関係があった。

コーチのための学び

リーダーシップコーチング、ライフコーチング、ポジティブ心理学、健康・ウェルビーイングコーチングの専門職が、世界的なパンデミックの中でこれまで以上に距離を縮めつつある昨今、これらの領域のコーチの大半は、人生の最も複雑な課題にクライアントと共に取り組んでいる。その課題とは、人生の深い目的をどのように見つけるのか、どのように誠実さと自分らしさを携えて人を導くのか、パーパスをどのように定義し明確化するのか、激動の経済・社会力学の中でどのようにウェルビーイングを保つのか、といったものだ。

このような状況の中で、最近の研究とカウフマン氏による実証的研究と、人間のモチベーションや成長心理学に関する他の著名な研究とを統合しようとする試みは、過小評価されてはならない。ユング、フロム、ホーニー、メイなどによる代表的な研究によって、心理学という分野が人文主義的な基盤の上に成り立っているだけでなく、今日の人間理解に対する実証的なアプローチによっても、確固たる科学的基盤を得ている。また一方で、私たちコーチも、リーダーシップと価値観に基づいた人生をめざす自己実現のためのアプローチに関して、クライアントとの会話を前進させることに向けたさまざまな方法を通して、自分達の仕事の基盤を築く能力を得ているのである。

近い将来、コーチングの研究者は、カウフマン氏の自己実現尺度に基づき、コーチング実施前後の効果を測定する手段を開発することができるようになるだろう。そうなると、測定が難しいとされてきたコーチングの効果についての実証に基づく科学的基盤を得ることになるだろう。カウフマン氏の研究により、私たちは今日、コーチングを科学的に大きく前進させるためのツールを手に入れたのだ。

以下のことをコーチングの実践の場に取り入れてみよう。

  • 上記の10の自己実現領域を含む質問や好奇心をコーチングに持ち込むことで、クライアントとの会話をより豊かなものにしよう。
  • カウフマン氏が「欠陥によって駆り立てられる性質」と表現した、「すべきこと」や「修正する必要があること」として語られることの多い「欲求(ニーズ)をベース」とする動機と、自己実現を支える成長志向型の内発的動機の違いをクライアントと一緒に探索しよう。
  • 自己実現尺度の10の次元に基づいた対話型アセスメントを開発し、クライアントが今後どの領域を強化し、あるいはバランスをとることを望むのか、クライアント自身が内省できるように取り組んでみよう。

自分の価値について自ら制限を加えている物語を変え、健全な方法でニーズを主張し、恐ろしい経験を回避しようとすることを克服し、自分の行動に責任を持つ。これらの行動は、脆弱な自己を強化し、安定させる。

ースコット・バリー・カウフマン

【参考資料】

  1. Maslow, A. H. (1943). A theory of human motivation. Psychological Review, 50, 370-396.
  2. Maslow, A. H. (1950). Self-actualizing people: A study of psychological health. In W. Wolf (Ed.), Personality symposia: Symposium 1 on values (pp. 11-34). New York, NY: Grune & Stratton.
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  4. Maslow, A. H. (1998). Toward a psychology of being (3rd ed.) New York, NY: Wiley. (Original work published 1962)
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  6. Kaufman, S. B., Quilty, L. C., Grazioplene, R. G., Hirsh, J. B., Gray, J. R., Peterson, J. B., & DeYoung, C. G. (2015). Openness to experience and intellect differentially predict creative achievement in the arts and sciences. Journal of Personality, 84, 248-258.
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著者について

ジェフリー・ハル(Jeffrey Hull)博士は、作家、教育者、コンサルタントとして20年以上活動している他、エグゼクティブ・コーチとして、グローバル企業の経営幹部に対してサービスを提供している。リーダーシフト(Leadershift, Inc.)の経営者。ハーバード・メディカル・スクールにおいて心理学の臨床インストラクター、ニューヨーク大学においてリーダーシップ論の非常勤教授も務める。2022年1月より、IOC(米国コーチング研究所)の常任理事(Executive Director)。

【翻訳】 Hello, Coaching! 編集部
【原文】 Maslow Redux: Updating the Science of Self-Actualization
2021年12月19日にIOC Resources(会員限定)に掲載された記事の翻訳。IOCの許可を得て翻訳・掲載しています。


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