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「自主性」を重んじるか、「主体性」を重んじるか
コピーしました コピーに失敗しました2024年7月19日に、千葉ロッテマリーンズの吉井理人監督の新刊『機嫌のいいチームをつくる』が発売されます。版元であるディスカヴァー・トゥエンティワンの谷口社長から、発売に先んじて「ぜひ読んでみてください」と本をいただいたので、さっそく読みました。
一読し、なんというか、頭の中が一気に晴れわたるような感覚を味わいました。本に登場する吉井監督の「言葉の定義」によって、過去20数年間にわたる自分の数多くの体験が、一気に整理整頓されたような気分です。たとえていえば、雀卓の上にぐちゃぐちゃに置かれていた麻雀の牌がパタパタパターと一気に振り分けられ、一糸乱れず並んだ感じとでもいえばよいでしょうか。雀卓の真ん中にどっちつかずで放置されるものはひとつもなく、それはそっち、これはこっちと収まるべき場所に収まったような感じです。
「主体性」と「自主性」
私の頭の「晴れわたり」につながったのは、吉井監督の「主体性」と「自主性」についての定義です。少し長いですが、とても明快なので引用します。
「常々思っていたのは、主体性と自主性には違いがあることだ。それぞれの言葉の意味を見ると、次のように説明されている。
主体性―自分自身の意思や判断に基づいて行動を決定する様子
自主性―当然になすべきことを、他人から指図されたり、他人の力を借りたりせずに、自分から進んでやろうとする様子
このように、主体性と自主性は、明確に意味が違う。主体性には自分の意思や判断が含まれているが、自主性には含まれていない。
学生野球や社会人野球などアマチュア野球を含め、日本の野球界には人に言われたことを率先してやれる選手は多い。アドバイスや指導を受けた際、納得していなくても、あるいは何も考えずに、言われたままやる。ただし、そこに「イヤイヤ感」はなく、積極的に取り組む。これが自主性である。
一方、アドバイスや指導を受けなくても、自分の強みや弱みを自分の頭で考え、強みを伸ばし、弱みを底上げする方法も自ら模索し、それを自分の責任のもとに行うことができる主体性のある選手は、私の知る限りほとんどいない。」(※1)
そして、吉井監督は、主体性のある選手の代表格として、イチローさん、ダルビッシュ有選手、そして大谷翔平選手を挙げます。
「主体性」と「自主性」に関する吉井監督の定義が、なぜ私の視界をクリアにしたのか。それは、私自身がコーチを育成・開発する過程で体験したことを説明してくれるものだったからです。
コーチになる人、ならない人
過去20数年にわたり、多くの人がプロのコーチを目指して当社の門をくぐりました。新卒採用を始めたのは2016年ですから、それ以前は中途採用です。転職してくる人からすると、単に別の会社に移るということを越えて、プロのコーチになるためにコーチ・エィという「道場」に入門するようなところがあります。
ほとんどの人は、並々ならぬ覚悟と決意で、それまで勤めていた会社を辞め、プロのコーチになるべく道を歩み始めます。ですが、プロのコーチになり、大企業の管理職や経営者を高いレベルでコーチングできるようになる人と、なかなかその域には到達せず、残念ながら、途中でプロのコーチになる道をあきらめてしまう人とがいます。
最終面接を行っている私としては、相応の自信をもって優秀なコーチになれると展望した人だけを採用しています。しかし、それでも、結果としては伸びる人と伸びない人がいる。
吉井監督は、先の言葉にこう続けます。
「主体性と自主性の大きな違いは、モチベーションに表れる。自分で決定することと、人に決められてやることでは、モチベーションが異なる。集中の仕方も違えば、持続する期間も変わる。調子が悪くなった場合、すべてを自分で決めていると振り返りによって何が悪いのか認識しやすい。さまざまな意味で、主体的に自己決定をしていくことは、スポーツ選手にとって大きくプラスになる。」
弊社では、コーチになるための様々なトレーニングメニューを用意しています。そうしたメニューを次々にこなして、早々と次のステージに移っていく人がいます。傍からは「行動力に溢れた、将来が期待できる新入社員」に映ります。
たしかにその通りです。しかし「行動が速い」ことだけにフォーカスしてしまうと、見誤ることもあるのかもしれません。吉井監督の表現を使えば、「その人は自主的ではあるけれども、主体的ではない」可能性がある。
主体性を持たせる覚悟
吉井監督は、ロッテの監督になって真っ先に次のような「基本方針」を自分で決めたといいます。
「選手に主体性を持たせ、自ら考え、自ら決断し、自ら行動できるようになってもらいたい。そのためにできることはすべてやる。」
この吉井監督の方針に照らし合わせたとき、私自身に「社員を主体的にするために、できることをすべてやる」という覚悟があったかという問いが回ります。新入社員の自主性が高いことにどこか安心を覚え、そこで止まってしまっていたかもしれないと思うのです。
そもそも日本人は学生の頃から、学校のクラスでも、部活でも、吉井監督のいう「自主性」を求められます。つまり、決められたこと、求められたことを素直にやることを期待されている。
会社に入ってからも同じです。「自ら考える人が必要」と、社長が訓示を述べたとしても、多くの現場では主体性よりも自主性を重んじる傾向が強いのではないでしょうか。多くの上司は、部下の自主性を前に安心します。繰り返しになりますが、それも必要なことでしょう。しかしそれでは、会社の方針に従って一生懸命仕事する社員は育っても、自らコンテクストや歴史を創る主体者であるという意識をもつ社員は生まれてこないかもしれません。
先月、米ギャラップ社が発表したエンゲージメント調査の2024年版で、日本は世界最下位を記録しました(※2)。ここ数年、この傾向は変わらず、何年にもわたって世界最低水準をキープしています。自分が社会や国を変えられると考えている人の割合もとても低い状況です。
さて、翻って、みなさん自身はどうでしょうか? また、みなさんの部下はどうですか?
その行動の速さは、自主性から来るものですか? それとも主体性から来るものですか?
まずは立ち止まって考えることがスタート地点かもしれません。
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【参考資料】
※1 吉井理人(著)、『機嫌のいいチームをつくる』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2024年
※2 State of the Global Workplace --- The Voice of The World's Employees, GALLUP, 2024
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