各界で活躍される経営者やリーダーの方々に、ご自身にとっての「リーダーとしての哲学」お話しいただく記事を掲載しています。
河西工業株式会社 渡邊邦幸 代表取締役社長 社長役員
第13回 経営も、後継者育成も「夢なき者に成功なし」
2021年07月26日
さまざまな業界のトップに、経営に関する哲学をお聞きする経営者インタビューシリーズです。
第13回は、自動車内装トリム部品の専門メーカー 河西工業株式会社の渡邊邦幸代表取締役社長のインタビューをお届けします。
本インタビューでは、70歳にして再び経営の現場に復帰した渡邊社長に、経営における哲学や、後継者選びにおける着眼点、社内でのコミュニケーションの在り方などについてお話をうかがいました。
1949年生まれ、静岡県出身。1971年名古屋大学工学部卒業後、日産自動車株式会社入社。企画室主管・設計管理部長などを経て、2001年に人事部門担当常務に就任。その後、2005年河西工業株式会社に入社し、顧問・取締役副社長を経て、2006年代表取締役社長に就任。8年後、会長職に就くが、2019年代表取締役社長に復帰し、現在に至る。
「自分が早く社長を辞めるために」を自問する
これまでの72年の人生で、6回ほど大きな転機がありました。最初の転機は1966年の日本グランプリです。火薬研究の第一人者である父の背中を見ながら育った私が、化学の世界から一転、自動車の世界へと身を投じるきっかけになりました。
日本車が外国車に立ち向かうカーレースのテレビ中継を見て、頭を殴られるほどの衝撃を受け、化学の道を捨ててでもレースをやりたいという強い気持ちが芽生えたのです。それがのちに、日産自動車に入社することにつながりました。
日産自動車ではエアバッグの開発や車両安全性能開発に従事し、企画室での経営の勉強、人事部への配属と、さまざまな人とのめぐり合わせによって、多様な業務を経験させていただき、今の自分が作られたと思っています。
2005年に河西工業に入社したのが、人生5度目の転機でしたが、2006年に社長に就任した後、一度会長職に退き、2019年に経営の立て直しという重大な責務を前に、再び経営の現場に復帰することになりました。これがもっとも最近での転機です。
社長職に復帰後は、大規模な組織再編を進めてきました。会社のことが頭から離れず、24時間、寝ても覚めても会社のことを考えているような状態です。「早く社長を辞められる状態にするには、どうすれば良いか」と常に自分に問いかけています。次の世代を開発し、その人たちが会社を引っ張っていく。そういう状態を早く実現したいと思っています。
「夢」がない人に、経営者は務まらない
提供: 河西工業株式会社
安心して社長職を辞すためにも、後継者となる次世代人財の育成にはかなり踏み込んでいます。後継者にとって経営しやすい環境を作る上でも、次にバトンを渡した後は執行としての発言や依頼事などを一切しない、きれいな身の引き方を目指したいと考えています。
後継者人財に求めるのは、第一に「会社」という一つの生命体を維持し、さらに成長、発展させるための「夢」をもっていることです。当社は自動車内装トリム部品を製造することで世の中に付加価値を創出している会社です。モノを作ることの夢でもいい。従業員が働き甲斐を感じ、当社に勤めて幸せだと感じられるような会社にしたいという夢でもいいと思います。夢や人に対する思いをもっている人じゃないと、経営者は務まらないと思います。
そうした「夢」があるかどうかを知るには、本人に聞いてみればいいのです。「3年後に何をやりたいか?」と問いかけて答えられない人は、残念ながら夢がないのでしょう。人は本来、想いをもって時間を過ごすものです。3年後、あるいは10年後の自分の夢について語れないのは、もしかすると、日々の目の前の仕事に流されているからかもしれません。
また、経営者に限らず、上司という立場にある人は、部下が夢を実現する、幸せを掴むための環境を整えてあげなければならないと思います。以前、私が「3年後に何をやりたいか?」と問いかけて「会社を辞めて、こういうことをしたい」と臆することなく答えた社員がいました。
社員が、辞めた後に別の場所で活躍してくれれば、それも一つの会社としての社会貢献です。「お願いですからこの会社にいさせてください」と頼まれるより、ずっといい。そのときは、はっきりと夢を答えられた彼女を素晴らしいと思いましたが、同時に彼女の上司に「彼女に3年後にやってほしい仕事を3つ準備するように」と命じました。違う夢をもっていたとしても、3年後にこの会社でやりたいと思えることができたらさらにいい。経営者、上司にはそういう環境をつくる責任があると思います。
"週報"があぶり出す一人ひとりの価値観
社長に復帰した後、新たに週報制度を導入しました。当時はコロナ禍など全く想定していませんでしたが、この週報制度が、コロナ禍においても、スムーズな社内コミュニケーションに役立っています。
週報の共有は、経営会議メンバーや常務クラスからスタートし、今では部長層にまで広がっています。全員で共有し、メンバー間でチャットを活用した意見交換ができるようなシステムを利用しており、私自身もコメントします。
2年間、毎週、約30人分の週報とそこでの発言内容を見ていると、一人ひとりの価値観や考え方が手に取るようにわかるようになります。誰がどんな相談を誰としているのか、それに対して誰がどのような返事をしているのか。また、週報によって現場で起きている生の声がわかるのはもちろんですが、言いたくないようなことでも、グループのためにクレームを出せる人材、誰かが傷ついたら、「そういう見方だけではないよ」と助け船を出せる人材なども見えてきます。最近では提言型も増えてくるなど、成長も見られます。コロナ禍は想定外の出来事でしたが、この状況でも、週報があることで会社の動きはよくわかりますし、週報をベースとしたやりとりには、1 on 1を実施しているような効果も感じられます。
「話す」とは異なり、「書く」行為は、顔を見ずに自分の意思を明確に伝えるために神経を使います。「読む」も同じです。相手の意思を読み取るために神経を使います。 「書く」力、「読む」力も、信頼関係を構築するための新たな手段として重要性がさらに増してくるのではないでしょうか。コロナ禍による仕事環境の変化によって、個人の行動特性や個性もより鮮明にあぶり出され、頼れる人はより頼れる人として存在感が増しているように感じます。
経営の神髄も、「夢なき者に成功はなし」
提供: 河西工業株式会社
当社には創業者・河西史郎が掲げた「社会の信用を 企業の繁栄を 相互の幸福を」という社訓があります。私の目下の「夢」は、この社訓を具現化していくことです。
当社を、社会から信用され続け、良質な企業として繁栄させ、その結果として得られる利益を、株主や従業員などのステークホルダーと分かち合うことで、それが社会の繁栄にもつなげていけるようなサイクルを回せる会社にしていきたいと思っています。
当面の課題は、地球にやさしい仕事の仕方を考えること、すなわち環境価値の向上です。これは当社だけではなく、自動車業界全体に課されたものですが、社訓に掲げられた言葉の重みを胸に、サステナブルな状態とは何かということを真剣に考えています。
吉田松陰の名言に「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。ゆえに、夢なき者に成功なし」という言葉があります。経営がうまくいかなかった時を振り返ると、大概の場合、ビジョンで行き詰まっています。ビジョンのない人が計画を作るとろくでもないことになります。達成したい理想だけを掲げても、大概失敗します。まず、夢ありき、です。
夢があって、その夢を達成するためにマイルストーンを想定してゴールを決めれば、計画が具体的になります。夢を持つ者は理想を語ることができ、理想を持つ人は具体的な計画を持て、具体的な計画があれば実行でき、よって成功に導かれるのです。吉田松陰の生き方そのものがまさしく、この言葉を体現していますが、経営を進める上でも、後継者を見出す上でも、「夢」があることが要だと私は考えます。
本記事は2021年2月の取材に基づき作成しています。
内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。
表紙写真: 河西工業株式会社提供
河西工業株式会社
河西工業株式会社は、2021年10月に創立75周年を迎える自動車内装トリム部品の専門メーカーです。
「室内空間は人にとって、安全かつ快適であることが最大の機能である。」 という創業以来の信条を変えることなく、その実現に向け製品開発を積極的に取り組んでおります。
KASAIグループの長期ビジョンである 『グローバルエクセレントカンパニー』 の確立という目標を掲げ、常にお客様が求める品質・コスト・商品提案のできる企業を目指し、全従業員一丸となって日々チャレンジしております。
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