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母と補聴器

母と補聴器 | Hello, Coaching!
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私には今年で82歳になる母親がいます。

いまだに日本舞踊を教え、習字を習い、毎月のように温泉旅行に出かけて行きます。その矍鑠(かくしゃく)とした姿はうれしい限りなのですが、さすがに老いには勝てず、この数年で耳が遠くなりました。特にこの1、2年は顕著で、最近では耳元で大きな声で話さないと確実には伝わらないという状態になってきています。

ところが、本人は、「大丈夫。聞こえは悪くなってはいるけど、言っていることはわかるから」と言うのです。

ときどき取り違えて聞いていることがあるのですが、気丈な母はそれをなかなか認めません。しかし、家族が感じているのですから、踊りを教えているときも、友達との間でも、多少のすれ違いが起こっていることは想像に難くないわけです。

補聴器をつけるという提案を母はしぶしぶ受け入れました。「試してみて、よかったらつける」ということになり、この連休中に補聴器を扱っているお店を回わることになりました。

最初に行った補聴器専門店。対応してくれたスタッフは、ご自身も難聴で補聴器をつけています。

「耳の聞こえない人の気持ちはよくわかるんです」という言葉から始まった説明は、さすがに説得力がありました。検査の結果で母の聴力は、実際の音声の40%程度しか聞こえておらず、聞こえていない部分は想像で補っていることがわかりました。そのスタッフは「おかあさん、本当は聞こえていないんですよ。想像で補って聞こえたつもりにしてしまう癖がついているんです。だからときどき取り違えてしまうんです」

隣で聞いていた私は心の中で思わず拍手喝さいです。そのとおり。よくぞ代わりに言ってくれました。これできっと母も補聴器をつける決断をするだろう。説明は続きます。

「この補聴器をつければ、音そのものが80%ぐらいまで聞こえるようになりますから、音そのものを聞くようにがんばってください」

その説明を聞いた母は、強い調子で言い返しました。
「私は、いつも聞くように頑張ってます」

思わず、横に座っている母の顔を見ると、うっすら涙を浮かべています。すべての説明が終わって店から出た母は言いました。
「この店では買わない、もうこの店にはこないからね」

次の日に行ったのも補聴器の専門店でした。スタッフは30歳前後の男性でした。補聴器はつけていません。前日のお店と同じような検査をし、出た結果も同じでした。そのスタッフは結果のシートを前にして事務的な調子で数値の解説をすませたあと、母にこんな話をしたのです。

「とても81歳には見えませんね。しかも、現役で踊りを教えているなんてほんとに素晴らしいです。僕も桜井さんのように歳をとりたいな。この補聴器をつけると80%ぐらいまで実際の音が聞こえるようになります。でも、会話が聞き取れるようになる人とならない人がいるんです。会話の必要性がない人はなかなか聞き取れるようになりません。その点、桜井さんは今でも踊りを教えたりお習字を習いに行ったりしていますから、必ず会話が聞き取れるようになります」

母は、このお店で補聴器を買うことに決めました。

一方では、良かれと思ってした激励が母のレセプターを閉じさせ、一方では、さりげない承認とフューチャーペーシングが母のレセプターを開きました。

どちらのお店の説明もそれは確かに正論です。しかし、人は正論だけでは動きません。まずは、相手のレセプターを開くことが何よりも大切なのだと思います。

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