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「2つの自分」を明確に認識していますか?
2010年10月27日
行動経済学という学問の確立に貢献し、2002年には心理学者として初めて、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏。
彼は、ある講演の中で、「体験する自分」と「記憶する自分」という「2つの自己」について興味深い話をしていましたので、今日は、その一部をご紹介します。
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「人生を幸せに生きていること」(being happy in your life)と、「自分の人生に関して幸せであること」(being happy about your life)。
一見似ているようにも見えるこの2つの概念。実は全く異なるものです。
ひとつの例え話をご紹介しましょう。
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私の講義に出席していた人が、ある体験をシェアしてくれました。
彼は、ある演奏会を聴いていたそうです。それは素晴らしい演奏でした。ところが、その演奏の最後に、もの凄い金属音が鳴り響いた。
そのときのことを、彼はこのように表現しました。「あれで、全ての体験が台無しになりました(It ruined the whole experience)」と。
でも、それは違います。
正確には、台無しになったのは「体験(experience)」の「記憶(memory)」です。彼はちゃんと体験しています。20分間の素晴らしい演奏を聴いていました。
しかし、彼の中では、全てが駄目だった、ということになった。なぜなら、彼には「台無しになった」という「記憶」だけが残ってしまったからです。そして、私たちは「記憶」だけしか残せないのです。
この話は、私たちには「2つの自己」が存在することを示しています。
● 「体験する自分(experiencing selves)」
● 「記憶する自分(remembering selves)」
まず、あなたの中には「体験する自分」がいて、それは現在に生きているものです。例えば、病院に行ったときに、医者があなたにこう尋ねることは「体験する自分」を聞かれているといえます。「今、痛みますか?」。
そして、もうひとつが「記憶する自分」です。この場合は、医者はあなたに、「最近どうですか?」「旅行はどうでしたか?」などと尋ねます。
この「記憶する自分」が、自分の人生の物語(story)を保管し、得点を付けています。
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「体験する自分」と 「記憶する自分」。この2つには大きな違いがあります。
私たちは、「記憶(memory)」で「物語(story)」を語ります。「体験」を100%「記憶」するということはできません。「体験」の一部だけが抜き取られ、「記憶」として保存されます。その「記憶」で、私たちは「物語(story)」を語るのです。
つまり、「2つの自分」はまるで異なるものなのです。
また、「記憶する自分」は、ただ単に、記憶して、物語(story)を語るだけではありません。
私たちが日々行っている「決断」。実は、これも「記憶する自分」がしていることのひとつなのです。
例えば、ある患者が、2人の医者から同じ手術を受けたとします。その中から、どちらの医者が優れているか決めなければいけないとき、その患者が選ぶのは、当然、記憶がまだ良い方の医師になります。
このとき、「体験する自分」は何の発言権も持っていません。
私たちは、「体験」そのものから物事を選択し、決断しているわけではなく、体験の「記憶」から選んでいるのです。
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未来について考えるときも同様です。私たちは普段、「体験」として未来を考えるわけではありません。「予想される記憶(anticipated memory)」で未来を考えています。
私たちがバカンスに出かけるとき、ほとんどの場合、私たちは素晴らしい「記憶」のために出かけていきます。このことを証明するために以下のことを考えてみてください。
「もしあなたが、『次のバカンスでは最高に楽しい日々が過ごせるものの、最終日にカメラが壊れ、バカンスで撮った写真は全て消滅してしまう。さらには、強いドラッグを吸ったことで旅行の記憶も全て失ってしまう』ということを事前に知っていたら、あなたはそのバカンスを選びますか?」
このとき、あなたの中の「2つの自己」の間で対立が生じます。しかも、そこに、誰の目にも明確な基準というものがあるわけではありません。
「なぜ、私たちは、そのバカンスを選ぶのか?」
「思い出(記憶)」の視点から考えれば、あなたは間違いなく別のバカンスを選ぶでしょう。しかし、「時間」の視点から考えたとしたら、あなたはもしかすると違う答えを選択するかもしれません。
このように、私たちは、常に「2つの自分」からの選択、という問題に直面します。そして、「幸福(happiness)」という概念も、私たちはこの「2つの自分」のどちらかを当てはめて捉えているのです。
「記憶する自分」にとっての幸せとは、「その人が、自分の人生について考えたとき、どれくらい満足感を覚えるか」であって、「その人が、どれほど幸せに生きているか」という、「体験する自分」とは全く違う類の幸せなのです。
この2つの概念をしっかり区別しておかないと、「幸福(happiness)」を追及する際に行き詰まってしまいます。
「well-being(満足いく幸福状態・健康状態であること)」について正しく捉えることは本当に難しいことなのです。
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私たちがコーチングを行う過程においても、しばしばこうした行き詰まりが顕在化することがあります。
コーチングの成果を測るときに、「記憶する自分」、つまり、「満足した」「楽しかった」「気づきがあった」「やる気になった」などを無意識に選んだ場合、それらは参考にはなるものの、計測の対象としては不確かなものになってしまいます。
真の成果を測りたいのであれば、「体験する自分」を測るもの、言い換えれば「外部基準」となるものを用意すること。そして、それを用いて、目標に向けたコーチングを行う必要があるのです。
参考(ビデオ) Daniel Kahneman "The riddle of experience vs. memory"
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