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新しい方針を浸透させる
2014年02月05日
カリフォルニア大学のエリオット・アロンソン教授の著書(※1)に、こんな実験結果が紹介されていました。
10代の青少年を集め、「なぜ10代の青少年には自動車の運転が許可されるべきでないのか」という話をしました。その際、2つのグループに分け、一方のグループのみに事前に「"10代の青少年にはなぜ自動車の運転が許可されるべきでないのか"について話をする」と伝え、もう一方のグループには何も伝えませんでした。
その結果、事前に聞かされていたグループへの説得は難しく、何も聞かされていなかったグループの方のみ、全員を説得することが出来たのだそうです。
アロンソン教授は、人は、自分がこれから誰かに説得されそうだということが分かると警戒心を強くするが、それは、人が「自分の自由の感覚を守ろうとする傾向を持っている」からだ、と述べています。
ビジネスの世界では、新年度が近づくと「新しい方針を組織全体に浸透させたい」という話を聞くようになります。
しかし、社員を集めて新しい方針を「説明する」方法では、社員を警戒させるかもしれません。では、新しい方針を「浸透させる」にはどのような方法があるでしょうか。
まず、「方針を浸透させる」とはどういうことかについて考えたいと思います。
方針の浸透とは、その内容を「理解させる」ことや「記憶させる」ことではなく、一人ひとりに方針に基づいた「行動をとってもらう」ことを目的としているのではないでしょうか。
だとすると、私たちは、方針を「どう伝えるか」ではなく、「どのようにすれば方針に基づいて社員が行動するか」、つまり、「伝え方」ではなく「行動の引き出し方」に焦点を当てなくてはなりません。
大企業で副社長を務めるAさんが、面白い体験を教えてくれました。
Aさんは課長時代、社長が全体会議で伝えた「中期ビジョン」にどうしても納得がいかず、職場で悶々としていた時期があったそうです。
そんな時、たまたま、人事部から新入社員を対象とした研修の1コマを頼まれました。エンジニア出身の課長として活躍しているAさんに、どのように仕事をしているのかを2時間ほど話してほしい、というものでした。
相手は新入社員だから、と軽く引き受けたAさんは、特別な準備をせずに研修の日を迎えました。
前半は自分の仕事について話し、後半は自由な質疑応答としました。調子よく前半を終了し、後半の質疑応答に入りました。そして、最初の質問者が手を挙げました。
「Aさんは新しい中期ビジョンをどう思いますか?」
この質問に、Aさんは戸惑ったそうです。
後ろの席では人事部長が見ている。それよりも、中期ビジョンに納得していない管理職の自分を新入社員にさらけ出したくない。そんなことを考えながら、Aさんはしどろもどろに答えたのだそうです。
Aさんの答えが良く分からなかった新入社員たちは、自然と中期ビジョンについての質問を何度も何度も繰り返しました。Aさんは、困りながらも、ひとつひとつに、正直に答えることにしました。
すると、しばらくして、話しながら「はっ」としました。「自分が学生時代からやりたかったことが、この中期ビジョンの中にある」と突然気付いたからでした。
Aさん曰く、「方針と自分が結びついた瞬間」でした。
「その日を境に自分は変わった」とAさんは言います。Aさんはその後、新しい事業を提案し、後に大きな成功を遂げました。
エグゼクティブ・コーチングでは、「新しい方針の浸透」がテーマになることがありますが、多くのクライアントから得たデータを通して分かったことがあります。それは、経営者が社員に伝えたいことは、「社員一人ひとりがそのことについて話す機会を増やすこと」で浸透する、ということです。
人は、一人ひとり違います。仕事内容も違います。経営理念や中期計画、新しい方針に基づく行動も、一人ひとり違うのです。つまり、方針と自分との関係を見付けることが出来るのは「本人だけ」なのです。
Aさんには、たまたま、方針と自分自身とをつなげる「話す機会」がありました。
私は、方針と自分自身とをつなげるには、コーチングを活用することが最も有効だと考えています。そして、いくつもの組織で「新しい方針を組織に浸透させる」ことをゴールとしたシステミック・コーチング™を行ってきました。
しかし、日々の職場でも、ちょっとした会議や面談の機会に、方針と自分との関係について話してもらうのはそんなに難しいことではないかもしれません。なぜなら、自分のことについて話すことは、人間の自然な欲求の1つでもあるからです。
ハーバード大学社会的認知・情動神経科学研究所の研究者が、fMRIで脳の活動を調べたところ、人が自分のことを語るとき、脳の快楽を感じる神経領域が活性化することを発見しました。
人は自分のことを話すとき、お気に入りの料理を食べるのと同じくらいの快感を得ている、ということがこの研究で分かったのです。(※2)
組織方針の浸透は、受動的なプロセスではなく、社員一人ひとりの能動的なプロセスです。
経営者が素晴らしい方針を作り、何度も何度も伝えれば、方針の内容についての理解は進むでしょう。しかし、その方針について社員自身が話す場がなければ、新しい行動にはつながりません。
人は、他人の考えに黙って従うことを潜在的に警戒しているからです。
一方、人は自分のことを話すことが好きです。そして、コーチングでよく言われるように、「話しながら新しい考えに気づく力」も備えていますであれば、人間が持つこの自然な力を使う方法を考えた方が、無理なく効果的に方針を浸透させることが出来るのではないでしょうか。
Aさんも、こう言います。
「社員が方針をいくら聞いても方針と自分は結びつきません。必要なのは社員へのインプットではなく、社員からのアウトプットの機会を増やすことです。方針と自分との関係について話す機会があってはじめて、方針に基づいた行動が生まれるのです」
【参考資料】
※1 『ザ・ソーシャル・アニマル―人間行動の社会心理学的研究 』
E・アロンソン (著), 岡 隆 (翻訳), 亀田 達也 (翻訳) P98
※2 Diana I. Tamir and Jason P. Mitchell, "Disclosing information about the self is intrinsically rewarding", May 7, 2012,PNAS
SANDRO IANNACCONE(執筆)、TAKESHI OTOSHI(訳)、「なぜわたしたちは自分のことを話すのが好きなのか?:研究結果」、2013.08.23、WIRED
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