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「最初の感覚」が生み出すフィードバックの可能性
2019年01月30日
今でも、鮮烈にそのときのことを覚えています。
5歳の娘とお風呂につかっているとき、何の前触れもなく、娘が「抜き打ち」のように言い放ったセリフがありました。
「お父さん、わたしは心配。さっきのお父さんとお母さんのこと」
実はお風呂に入る直前、妻と軽い口論がありました。最後は私が詫びを入れ、私の中ではすっかり完了した気分で風呂に入ったのですが、娘はそのシーンのことを指して言ってきたのです。
思わぬタイミングでの一言で一瞬頭が真っ白になり、どもりながら「な、なんでそう思ったの?」と返すのがやっとでした。
娘はただ一言、
「なんとなく...。そう感じたんだもん」
そう答えるだけでした。
フィードバックを取りにいきたくなる存在
私の中では、さっきの完了感が一気に失せ、とたんに思考の渦に巻き込まれました。とにかく気になって仕方がありません。お風呂から上がるなり、意を決して再び妻と向き合い、改めて話を聞いてみることにしました。
すると、先ほどの話の終わらせ方に、妻はまったく納得していなかったことが判明。ただ、もう一度話を聞く、という私の姿勢は気持ちを和らげたようで、最終的には互いの気持ちのしこりを解消させる結果となりました。
娘の一言がなければ、私は妻の気持ちに気づかないままでいたことでしょう。
振り返ってみると、娘からのこうした「天の啓示」ともいうべきフィードバックの例は枚挙にいとまがありません。
会社でも周囲からフィードバックを沢山もらう機会に溢れていますが、不思議と、娘ほど自ら取りにいきたくなるフィードバッカ―はいないようにも思います。
なぜ、子どもの一言はパワフルなのか?
子どもが放つ一言にハッとさせられる場面は、みなさんにもあるのではないでしょうか。
先日、ある記事でアメリカの臨床心理学者、トマス・ゴードン博士の唱える「第一感情」と「第二感情」というものがあることを知りました。
同博士によると、「怒り」の感情は「第二感情」であり、その背景には、不安やストレス、悲しみ、苦痛、寂しさ、弱さ、絶望、悲観といった「第一感情」があるのだそうです。
では、第一感情と第二感情を分かつものは何なのでしょうか?
私が考えたのは、「相手への"評価"や"リクエスト"など、感情の矛先が"自分"を離れ、"相手"に向くことなのではないか」ということです。
そして、第一感情の段階では、「(私が)不安に感じた」「(私が)寂しい気持ちになった」と、主語が「私」の「Iメッセージ表記」であることが特徴で、第二感情になると「あなたが〇〇だ」という「YOUメッセージ表記」になることが増えるのではないか、ということです。
矛先を向けられた「YOUメッセージ表記」は、受け止める側も素直に受け止めにくく、ときに不要なハレーションを引き起こしてしまうこともあります。
我が家のケースでいえば、娘が最初に感じた感情は自らの「不安」であり、彼女が伝えてきたのも、シンプルにその不安な気持ち、すなわち「第一感情」でした。
決して、私の謝り方が悪かったことに憤慨して「お父さんの謝り方がよくない!」「なぜあんな謝り方をしたのか」と「第二感情」では言ってきていませんでした。
「第一感情」のみを伝えられたことで、私は娘からのフィードバックに対して素直に耳を傾け、「もう一度、妻と話す」という行動に反映させることができたように思います。
素直に感じる「感覚」をフィードバックの強みとする
ユングが提唱している4つの心理機能という考え方があります。ユングは、外界情報を把握する際の心の機能として、以下の4つを挙げています。
【思考】 論理や理屈で判断する
【感情】 好き嫌い、快不快、善悪で判断する
【感覚】 五感を通じて、現実や物事をそのまま、あるがままに感じ取る
【直感】 可能性、本質性、ひらめきを感じる
人の感覚や直感は、合理的な理由や根拠があるわけではなく、ただその人が「そう感じる」という知覚機能になります。
それらは相手に「聞く耳」を持たせる効用があり、そこから相手に自ら判断をする自由さを生み出すということなのではないでしょうか。
娘からのフィードバックは、ここでいう「感覚」機能が大いに発動しているケースともいえます。
あらためてこの件を振り返ってみたときに、「感覚」という視点に加えて鍵になる要素だと思ったのが、何かある答えに導こう、誘導しようとする「引力」が働かなかったことではないかと考えています。
「打算のない」素の感覚が持つパワーやポテンシャルのようなものを感じました。
ある結論に持っていきたい!
もっとこうした方がいいのではないか?
そうした打算や目論見の呪縛から逃れることは、口で言うほど簡単なことではないでしょう。
ですが、そこは試みてみる価値があるのかもしれません。
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