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結局のところ「対話」とは何なのか?

結局のところ「対話」とは何なのか?
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「対話」とは、結局のところ何なのであろうか?

最近、同僚のコーチ達とずっとそんな話をしています。2021年、私が同僚コーチ達と最も話した話題かもしれません。

一方向ではない、双方向のやり取り。そこまでは感覚的にも分かりますが、問題はそこから先です。

私たちは「対話」を、互いの「違い」を顕在化させながら、新しい「意味」「理解」「知識」を一緒に作り出す双方向なコミュニケーション、そう定義しています(※1)。しかし、この定義もなかなか一筋縄ではいかぬ難解なものだと感じます。

社会構成主義の第一人者であるケネス・ガーゲン氏は、私たちは「対話」によって現実を創り、未来をも共に創造することを可能にするといいます(※2)。また対話理論、ポリフォニー論の創始者であるロシアの思想家バフチンは、「対話」とはお互いを豊かに変えるための闘いであるといいます(※3)。

彼らの言葉に、「対話」の果てしない可能性と、果てしない深さを感じますが、彼らにそこまで言わせる「対話」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

「決めつけ」からの解放

今でも多くの対話論者に影響を与えているバフチンのいう「対話」は、「人が相手に呼びかけ、相手がそれに応答するような関係一般」を指します。バフチンが問題にしたのは、その行為が「対話」であるか否かということではなく、その対話の中から「新しい意味が生まれるか否か」、それが「創造的であるか否か」でした。

バフチンはなぜ創造的対話にこだわっていたのでしょう。その背景には、一方的なものの見方を優先する、私たち自身の習性があります。

私たちは「知っている、理解している、分かっている」、そこに重きを置く文化の中で暮らしています。故に、あらゆるものに対して「これはこういうことだ」と無意識に決めつけ、わかったつもりになりがちです。目の前にいる人に対しても、自分に対しても例外ではないかもしれません。

バフチンはその習性に対して警告を発するとともに、それとは違うアプローチを提唱していたのだと思います。

目の前の人を「この人はこういう人だ」、そう決めつけた瞬間、そのイメージの中に相手を閉じ込め、あらゆる可能性を閉ざしてしまうことになります。

バフチンは「人間の心は本来自由で、不確定要素に満ちており、いつまでも決定づけられることはない。ましてや他人に決めつけられることもできなければ、自分で決めつけることもできない」、そう考えていました。

創造的対話。それは、あらゆる決めつけから私たちの視点を解放し、新しい可能性をひらくための対話を意味します。

伝統、道徳、社会的常識、正義、ルール、コモンセンス、最適解。これまで正解とされてきたものは挙げたらきりがありませんが、私たちの周りには「こうしなければならない」「これが正しい」、そう主張してくるような概念や声で溢れています。そして私たちはそれらを無自覚に自分の中に取り入れ、そして自分を縛っています。

では、対話とはどのようにしたらより創造的になるのでしょうか?

創造的な対話への入口

同僚のコーチ達と、どのような時に対話がより創造的になるのか、そんな話をしている時のことです。一人の女性コーチが、それは自分の腹に隠し持った、本当は言いたくないことを表に出さざるを得なくなった時だと言いました。心地のよいものではなく、心は激しくざわつくといいます。

私たちはややもすれば、互いに心地のいいやり取りをしようとします。互いの「違い」を顕在化させるより、共通項を見いだし安心感を醸成したくもなります。仮に相手と違う意見を言う場合でも、ここまでは言っても大丈夫と踏んだものだけを言ったりします。

これ以上は言ったら危険だと感じること、お互いの関係がどうなってしまうかわからなくなるような、自分の立場が危うくなると思うような、そんなリスクのある考えや感情は腹の底にしまっておく、という魂胆です。

その同僚コーチは、それでもリスクを取って腹の底にあるものを表に出したとき、創造的対話が始まるのだと言いました。予定調和ではない、全く未知の領域にお互いが足を踏み入れることになる、そんな対話です。

思い起こせば、部下から、クライアントから、知人や家族から、予想もしなかったような本音を聞いたとき、自分がこうだと決めつけていたものが崩れ、相手との新しい関係性が構築され、これまでとは違った未来が切り開かれた記憶がいくつも蘇ります。

クライアントから「内村さんをコーチとして信用していいのかわからない」と言われたとき、相手が伝えようとしていることを全身で聞き取ろうと、全ての感覚がぴりぴりと研ぎ澄まされる状態になりました。また、自分が思っていることも、嘘偽りなく、そして躊躇なく伝えようと、ものすごく誠実というか、どうなるかわからないが全てをさらけ出そうという状態になりました。

多少極端な話ではありますが、お互いがその場で何らかのリスクを取らない限り、創造的な対話は始まらないのかもしれません。

闘争、そして豊かさに向けた変化

リスクを取って述べられた言葉も、片方がそれを退けてしまっては対話にはなりません。

バフチンは、対話がより創造的になるためには、自身が既に抱いていた考えや立場を放棄する可能性も排除できないといいます。互いが内側にあるものを書き換える。つまり、自分が変わることについて両者がオープンな姿勢で臨んではじめて、創造的対話ができるということになります。

創造的対話は、これまでの延長線上にはない新しい未来を可能にします。

そしてそれを可能にするには、自らが変わることを覚悟して対話に臨むこと、そしてその対話の場でリスクを取って違いを持ちこみ、どんなことがあっても対話を継続させることです。

バフチンは、それを「互いが豊かに変化するための闘争」、そう表現しました。

* * *

「当たり前を問い直す」。今、それが実に多くの企業で求められていると感じます。

組織の長い歴史の中で培われてきた常識、たとえば、上が決めたことは敬い守らねばならないという考え、お客様は絶対という関係性、できないのは努力が足りないからという見方、業績を上げる人が優秀であるという価値観、空気を読んで周りに迷惑をかけないという姿勢、、、。お客様と話していると、枚挙にいとまがありません。

リスクを取って話す、それは決して容易なことではありません。自分の思っていることをいつもより多く言う、相手の思っていることをいつもより多く聞く、そんなところから始まるのかもしれません。

あなたは誰と、どんな創造的対話を始めますか?

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【参考資料】
※1 コーチ・エィによる定義
※2 ケネス・J・ガーゲン、メアリー・ガーゲン(著)、伊藤守(監修・翻訳)、『現実はいつも対話から生まれる』 、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2018年
※3 桑野隆、『生きることとしてのダイアローグ:バフチン対話思想のエッセンス』、岩波書店、2021年

※営利、非営利、イントラネットを問わず、本記事を許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。転載、その他の利用のご希望がある場合は、編集部までお問い合わせください。

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