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驕り、傲慢、自己欺瞞という厄介な憑きもの
コピーしました コピーに失敗しましたパリ五輪を見ていると、多くのスポーツで「日本は世界の強豪国と渡り合えるほど強くなった」と感慨深く思います。私の好きなサッカーもその一つです。
日本のサッカーが強くなった要因の一つに「メンタリティ」があるといわれます。
過去には「世界のトップに、自分たちのサッカーは通用しないのでは...」という心の状態が、パフォーマンス発揮を阻害していたといいます。選手たちは、もちろん、自ら進んでそう思いたいわけではないけれど、無意識のうちに、その意識に取りこまれてしまう。そして、そのことに気づくこともない。それは、一種「憑りつかれている状態」といえるかもしれません。
この「憑りつかれている状態」がパフォーマンスに影響を与えるという事態は、スポーツに限らず、私たちにとっても案外身近なテーマのような気がします。
問われて答えるを繰り返す
先日、上司との1on1のなかで、自分の中の憑きものが落ちたような、そんな感覚を味わいました。
私は今期、もう一つ上の役職にチャレンジしたいと考えています。そこで、上の役職で求められる要件と私の現状とのギャップを明らかにするところから始めようと、上司にフィードバックをもらいに行きました。
「上の役職を目指すために自分に足りないもの、ギャップを知りたい」
そう伝えると、上司は問いかけてきました。
「栗井さん自身は、ギャップが何だと思っているの?」
自分では能力面ではなく実績不足だと認識していたので、そう正直に伝えました。上司は私の話を「なるほど」と受け止めてくれたうえで、
「では、実績が出ていないことについては、どう思っているの?」
と、質問を続けました。最近、上司の私への評価が芳しくないことを薄々認識していたので、ここから叱責が続くかもしれないと思いながらも自分が思っていることを伝えると、上司はまた問いかけてきました。
上司の問いかけに私が答え、それに対して、また上司が質問するというやりとりがその後、何往復も続きました。
「そう思っているのは、どうしてなの?」
上司と私は、ここ数年来、一緒に仕事をする機会の多かった間柄です。
上司は、問いかけるだけでなく、上司に私がどのように見えているか、上司がどのように考えているかも伝えてくれました。
「栗井さんの○○の能力が、他の人より劣っているとは思わない」
「以前のあなたは、もっと△△だったように見えるよ」
と、私の価値や存在を認めてくれる言葉もあれば、
「それは全然違うよ。なんとなく表面的なことに終始している気がすると思う」
というフィードバック。さらには、お叱りもありました。
「□□については何度もリクエストしているのに、栗井さんはやらない」
その1on1は、上司が話す時間もありつつも、私が今の自分をどう捉えているかについて、たくさん話す時間でした。
振り返ると、上司からは繰り返し、
「栗井さんがそう思っているのは、どうしてなの?」
と問いかけられていたような気がします。
都合のいい解釈に立てこもっている自分
上司に自分のことを話す中で、口にしながらも「本当にそうだろうか?」と思う瞬間が何度もありました。
「自分は環境への適応能力が高い」と上司に伝えながら、転職後の会社への適応が他人より少し早かった経験からそう思い込んでいるだけかもしれないことに気づきます。
「自分にはメンバーマネジメントの能力がある」と口にしながら、もしかしたら、かつてのチームメンバーの「栗井さんのチームで活動できて幸せでした」という言葉だけが拠りどころになっている可能性も発見します。
「コーチ・エィの次世代を担う若手の中心」という、かつてもらった言葉を今も大事にしている自分。
「ここしばらくは自身のパフォーマンスはイマイチだけど、それは自分のコンディションが整っていないから」と思っている自分。
「自分にはこういう能力がある」と言いながら、自分に都合のよい解釈の中に立てこもっている自分を次々に発見します。
話しているうちに頭に浮かんだ言葉があり、気づいたら、それを口にしていました。
「自分はいつの間にか『お局』になってしまっているのかもしれない」
私にとって「お局」は、男女問わず「老害」を象徴する言葉です。変化しない人、アップデートしない人、今持っているものにしがみついている人、そんなイメージがありました。
「自分は会社に新しい風を吹きこむ存在だ」と思っていた自分の口から「お局」という言葉が出てきたことに、自分でも驚きました。しかし同時に、今の自分に妙にマッチした表現だと、その言葉を受け入れました。
自分のOSをアップデートする
自分はアップデートを怠ってきたのだろうか?
コーチとしても、ビジネスパーソンとしても、成長を意識し、常に努力をしてきたつもりです。しかし、私がしてきたことはアプリケーションレベルでのアップデートだったのだと思います。ロバート・キーガンの成人発達理論を借りて言えば、知識やスキルの成長である、水平的成長を志向してきたということかもしれません。
そして、その成長に向けて努力を積み重ねてきたことへの信頼が、いつのまにか姿を変え、慢心・驕り・傲慢・自己欺瞞等のさまざまな憑きものへと変幻していきました。「憑きもの」が怖いのは、自分にはその姿が見えないことです。知らないうちに取り込まれ、自分では憑きものが憑いていることに気づけない。憑きものにがんじがらめになりながら、前進しようともがき、苦しさだけが増していく。
上司と話す前の自分を振り返ると、そんな自分の姿が見えるようです。
上司は、私の憑きものを剝がそうと思ったわけではないでしょう。ただ、私が自分で自分のことを話すよう促してくれただけです。しかし、そうすることで、憑きものが少しずつ剥がれていき、終わった後は清々しい気持ちになっていました。
その時間を経て、いま私は、アプリケーションではなくOSのアップデート、自己欺瞞の中にいる自分ではなく、等身大の自分として、新たに成長に向けて動き出したいと思っています。
OSのアップデートは、等身大の自分を受け入れることからしかスタートできないのかもしれません。
あなたの自己認識が、最後にアップデートされたのはいつですか?
一人でのアップデートには限界があるように思います。「あなた」について、あなたを案じてくれる人と一緒に話してみませんか?
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