Coach's VIEW は、コーチ・エィのエグゼクティブコーチによるビジネスコラムです。最新のコーチング情報やコーチングに関するリサーチ結果、海外文献や書籍等の紹介を通じて、組織開発やリーダー開発など、グローバルビジネスを加速するヒントを提供しています。
「わからない」を愉しむー未知への眼差しがもたらす世界
コピーしました コピーに失敗しました私のクライアントは、大企業の経営層ばかりです。彼らは多様な経験と実績を積み上げてきたエリートであり、また深い学びの意欲を持っています。そのためか、エグゼクティブ・コーチングにおける初期のセッションで、彼らはよく「わかっています」と口にします。
しかし、私は「わかっている」という言葉が、クライアントが「私たちの間で対話する必要はない」と言っているように感じられ、少しさびしい気持ちになります。
そもそも「わかっている」とはどういうことなのでしょうか?
「わかる」とは、どういうことか?
新卒だった当時、私は「社会人として成長し独り立ちするためには、自分の担当する仕事についてはどんなことを聞かれても応えられるよう、すべてわかっていることが大事だ」と考えていました。
私は南米や北米の取引を担当しており、時差の関係から日本時間深夜に取引先とコミュニケーションを取ることも頻繁にありました。その準備の過程や実際のやりとりでわからないことが出てくると、私はいつも先輩に質問しました。先輩は、懐深く「仕事を進める中で迷ったら必ず聞け」と励ましてくれたので、私は夜遅い時間でも先輩にコンタクトしました。先輩は嫌な顔ひとつせず答えてくれましたが、今思うと内心では「早く独り立ちしてくれ」と願っていたのかもしれません。
次第に、私は自分が理解できていること・できていないことの整理がつくようになりました。そして、昼の時間に先輩を捕まえては質問し、足りない知識を補いました。また、事前に仮説を立てる習慣も身につけ、自分の仮説の正しさを先輩に確認し、仕事の精度をあげていきました。先輩からOKをもらう数がやがて自分の成長の目安になり、自分にできることが増えてくることで、仕事が面白くなり、より専門的で複雑なことにチャレンジするようになりました。「わかった」は私に社会人としての自信をつけてくれたのです。
「わかっていること」は大事ではないのか?
こうしてビジネスの世界を生きているうちに、私は「わかっている」ことは「成長」「十分であること」であり「わかっていない」ことは「未熟」「不足があること」だと思ってきました。
そんな私がコーチ・エィに入社したばかりの頃、先輩コーチが私にこう問いかけました。
「望月さんは、本当にわかったのでしょうか?」
私が何気なく発した「わかりました」という言葉が、先輩には私自身の成長を妨げる言葉として聞こえたというのです。
それを聞いて、私はこれまでの世界観が逆転したような感覚を覚えました。これまで大事だった「わかること」が、コーチ・エィでは大事なことではないのだろうか?
先輩コーチからのフィードバックを受け、ひとまず私は「わかった」と口にすることを意識的に封じるよう努めました。
しかしそれは表面上のことで「わかった」という言葉を発しないようにするものの、根本的には何も変わらず、これまでと同じように、自分で考え、迷えば確認し、スピードをもって仕事を進めていくスタイルを変えることはありませんでした。判断を迫られるビジネスの場面では、スピードが重視されます。速い決断を下すためには、それまでに培ってきた「わかったこと」「わかっていること」をベースに判断することが有効です。おそらく私は、無意識にそのやり方を手放すことを拒んでいたのでしょう。
一方でそんな私の中で、先輩のフィードバックは耳に残り「すべてのことを『わかった』状態にする必要はあるのか?」という問いが頭の中で回り続けていました。そして徐々に、自分の「わかっていること」だけに頼っていては、これまでの枠を越え、より大きな成果を手にすることは難しいのかもしれないと思えるようになっていったのです。先輩の一言が、本当に腑に落ちた瞬間でした。
「わからない」とは、問いを持つこと
「わからないこと」があってもいい。そう思えるようになってから、わからないことについて誰かに教えを乞うのではなく、他者と探索することに価値を感じ始めました。
というのも、わからないことについて他者に教えてもらおうとしたところで、相手も自分のわかっている範囲で話している可能性があります。であれば、それは相手の思考の枠を越えることはありません。
そこでまずは「○○についてはこう理解している」という自分の捉え方を共有し、相手の考えも問いながら対話するようにしました。それを続けているうちに、対話によってお互いの思考の枠を超え、より良い判断が出来るようになっていきました。
かつて、元クライアントのAさんと会食をした際に、彼が私とのセッションで最も印象に残った問いについて語ってくれたことがあります。その問いとは「Aさんのわからないことは何ですか?」というものでした。
彼は「そんなもの、わからないに決まっている」と内心で思ったそうです。しかし、妙にその問いが引っかかり、セッションが終わった後も自問を続けていくうちに、次第に視界が開けてきたといいます。
「わからないことがわからない。それ自体が、自分にとって最大のリスクだった」
彼は、すべてをわかろうとしていた自分がいて「わからないことは何か」という問いに向き合うことを避けてきたのだと気づいたそうです。その気づきをもとに、今では重大な決断をする前には、自分にも、共に仕事に取り組む同僚たちにも「あなたがわからないことは何か?」と問いかけ、共に探索する時間をもつようにしているといいます。
「わからない」を愉しむ心
多くの人にとって、成長とはまさに「わかっていくこと」「わかることが増えること」なのではないでしょうか。経験や知識が増え、わかることが増えてくると決断も早くなり、その時々の最適解を導きやすくなります。だからこそ「わかっている」ことのリスクに気づくのは容易ではないのです。
「わかっていること」は、物事を成功に導くのに役立つことでしょう。しかし、別の見方をすれば、それは過去の知識に頼ることに他なりません。つまり「わかっている」という感覚は、新しい視点を妨げる壁となり得るのです。
私は「わからないこと」を受け入れることで変わったクライアントを多く見てきました。彼らは「わからないことに向き合うことで人生は豊かになる」「わからないことを愉しむことが、成長の原動力だ」と語ります。彼らを見ていると「わからないことを愉しむ達人」という言葉がふさわしいと感じます。
「わからない」という感覚は、年齢や経験を重ねるほど避けたくなるものかもしれません。しかし、この感覚こそが私たちを成長と変革へ導く入り口です。
さて、あなたにとって今「わからないこと」とは何でしょう? それを愉しむ準備はできていますか?
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