さまざまな分野においてプロフェッショナルとして活躍する方たちに Hello, Coaching! 編集部がインタビューしました。
日本スポーツ振興センター 理事・ハイパフォーマンススポーツセンター長
勝田隆氏
第3章 スポーツを通じての学び
2020年04月20日
※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。
2019年10月末に、東京の青山でスポーツ・コーチングに関する国際会議、グローバル・コーチ・カンファレンスが開催されました。この学会を日本側として主催したのは日本スポーツ振興センター(JSC)。スポーツ庁直下の独立行政法人です。今回は、その国際会議の日本での開催を実現した立役者のお一人である、JSCのハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)長、勝田隆氏にインタビューをしました。勝田氏は、長年日本のトップアスリートたちへのスポーツ・コーチングに携わってこられました。インタビューでは、スポーツ・コーチングにおける大切な視点や、ビジネス・コーチングとスポーツ・コーチングとの共通点などについて、お話を伺いました。
第1章 | 対話の積み重ねを通じたコーチング |
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第2章 | コーチングの原点は人と人との関わり |
第3章 | スポーツを通じての学び |
第4章 | スポーツ・コーチングの国際会議 |
本記事は2020年1月の取材に基づき作成しています。
内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。
コーチの言葉次第で、スポーツへの関わりが変わる
指導する立場のものと指導される立場のものがともに学び合う場をつくるには、コーチの声のかけ方も重要な要素になりますね。
勝田 そう思います。たとえば子どもたちに「お互いに押し合ってください」とだけ伝えると、「負けるもんか」と、強く相手を押そうとする。ですが、「互いに支え合うように押し合ってください」と言うと、相手の力を借りながらバランスを取ろうとする。この子どもたちのように、コーチの言葉かけが相手の行動に変化をもたらすことを、私たちは折に触れて経験しています。コーチがどのような意識と行動を導き出したいのか、言葉や根底に持つ意識が大切です。
スポーツでは「速く走れた」「遠くにボールを投げられた」といった結果が、評価の対象となることが多いのですが、もしそれだけを求めるのであれば、速く走れなかった者は「劣っていた」という評価を受けるだけで終わってしまいます。しかし、「遠くにボールを投げられた」のはなぜなのか、あるいは、もっと上手に投げられるようにするにはどうしたら良いのか、といった視点から、全体の課題に転換できる質問をすれば、遠くに投げられなかった者にも、ポジティブな参加の機会が与えられたり、サポート的な役割が生まれる可能性があります。言葉の使い方次第で、スポーツへの関わりの度合いや行動も変わるのです。その点で、言葉の使い方も含めて、言葉かけは本当に大切ですね。
スポーツにおける「試合」の大切さ
日本のスポーツ界のコーチたちに伝えたいと考えていらっしゃることはありますか。
勝田 まず、スポーツにおける「試合」の在り方や重要性です。特に試合、ゲームにおいて「競う」ことに着目したいと思います。
「競う」という英語「compete」は、ラテン語の「competere」が語源で、「com(一緒に)」と「petere(求める)」から成り立ち、もともと「共に努力する」といった意味があったという説があります。このような説から、私は「競う」という行為は、共に努力しようとする協力的姿勢が根底にあるものと捉えています。
一方、試合に関係する「ゲーム game」のもともとの意味には、「人が集まること」だったという説があります。いくつかの語源の中には「参加、関係、共同」といった意味もあります。私はこれらの語源から、試合(ゲーム)を、「他者と建設的に向き合い、共に努力し良き関係を創り出すもの」と解釈しています。 言うまでもなく、競技スポーツにおいて「試合」は非常に大事なものです。「試合」という言葉を分解すると「試し合い」となります。自分の力を精一杯試すことのできる「場」や「相手」があることは幸せなことですよね?
私たちは、集団的な社会の中で生きています。社会とは、国際的で多様な価値観が行き交う大きな人間社会も指しますし、会社やグループなどの小さなコミュニティも含みます。
このようなさまざまな集団において、自らの力を精一杯試すことのできる豊かな競い合いの「場」や「相手」は、みんなで守っていくものではないでしょうか。
誰かが用意し、提供してくれるのではなく、「自ら」が大切にし、守っていくよう努めることが重要です。そこにコーチングの必要性と役割があると思います。
勝敗と同じくらい大切なこと
勝田 もう一つ、「試し合いの場」「競い合いの場」を豊かなものとするために、私が大切だと思っていることがいくつかあります。
一つは「レフェリー」。審判の判定は、勝敗に直接的な影響を与え、そしてその存在は「試合中においては唯一の、事実の判定者」とも位置づけられている競技も多くあります。審判の毅然とした態度や、安全性を予測した行動、すなわち審判の判断でプレーや試合を止めることなども含め、その判定には人間の判断や特徴が見えることも、スポーツの魅力や安全性を支える一部であると思います。
審判の呼称の一つである「レフェリー(referee)」は、「refer(任せる,委託する)」と「-ee(〜された人)」とから構成されています。 このことから、審判は、「依頼(refer)された人・任された人」とも解釈できます。「審判はなぜ存在するのか」という根源的な問いなど、大切な試合を「任せる側」と「任される側」に立つ者が、共に考えていくことが重要だと思います。
二つ目は、ルール。ラグビーやサッカーでは「ルール」のことを「ロー:Law(laws of the game)」と言いますが、ルールとはみんながうまくいくための約束ごと、合意事項です。人が集まって楽しむ場としてのスポーツには、参加者の合意による約束ごとが重要です。
多くの競技における競技規則には、曖昧な表現やその適応に関して審判の判断に委ねられる部分が少なくありません。サッカーの競技規則には、その適応について「多くの状況において『主観的な』判断を必要とする」とも書かれています。
個人の利益や目先の利益ばかりに目を奪われ、参加する人の「全体」や競技そのものの「未来」に対する視点が失われたら、「試合」の面白さもスポーツの発展もないのではないでしょうか。「ロー(Law)」という言葉から紐解かれる本質的意味や、集団への参加の前提となる「合意」を重んじる精神を大切にすることを共有したいと思います。
(次章に続く)
インタビュー実施日: 2020年1月23日
聞き手・撮影: Hello Coaching!編集部
表紙写真: JSC提供
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