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「小さな変化」に目を向ける
2015年07月15日
ここに簡単な問題があります。答えてみてください。
「バットとボールは合わせて1ドル10セントです。バットはボールより1ドル高いです。ではボールはいくらでしょう?」
いかがでしょうか。
この問題は、ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授によるものです。(※1)
簡単な問題にもかかわらず、ハーバード大学、マサチューセッツ大学、プリンストン大学の学生の50%以上が間違ったのだそうです。
正解は5セントですが、多くの人が直感的に「10セントだ」と答えてしまったそうです。
私たちは、過去に経験したことと同じようなものに対する意思決定を、メンタルモデルを使って行っています。
メンタルモデルとは、「自転車は危険だ」「近江牛はやわらかい」「バスは時刻通りに来ない」など、過去の経験の中で無意識に形成された概念のことを言います。
過去と似たような意思決定を求められる場面で、毎回最初から考えていては大変な時間と労力がかかります。
そこで、私たちはメンタルモデルを使って「思考の省力化」を行っているのです。
しかし、メンタルモデルを使って「早く結論を出そうとする」傾向は、弱みとなることもあります。
過去に経験したことと似ていれば、従来のメンタルモデルを素早く適用することを優先するため、「小さな変化」が見逃されてしまう可能性があるからです。
先の問題で「10セント」という答えを出してしまった人の中には、じっくり考えれば正答出来た人が多いはずです。
ところが、子供の頃に見慣れた「AとBを合わせて100円です。Aが60円ならBはいくらでしょうか?」といった問題と「同じだ」と思い、過去のメンタルモデルを素早く適用すると、答えを誤ってしまうのです。
しかし、もし、「これは引っ掛かる人が多い問題です」と事前に伝えられていればどうでしょうか。きっと正答率が上がるはずです。
つまり、全く同じ事柄でも、「これまで経験したことがある問題と同じだろうか?」と自分に問いかけ、「ちょっとした違い」や「変化」に意識を向けることが出来れば、意思決定の誤りを減らすことが出来るかもしれないのです。
実は、メンタルモデルは企業の業績にも関係しています。
アメリカのある教育機関が、過去50年間にフォーチュン100社にランクインした500以上の企業を対象に、「売上が失速した要因」を調べました。
その結果分かったのは、企業の売上が失速する要因の87%は「コントロール可能な要因」だった、ということです。(※2)
景気変動や地政学的な要因のように「コントロール不可能な外部的な要因」とされたものはわずか13%でした。
つまり、企業の売上が失速する原因の大半は、コントロール可能だったもの、すなわち、社内における何らかの「意思決定の誤り」だと考えられるのです。
企業では毎日、さまざまな意思決定が行われています。
・どのような商品を開発するか。
・誰にその事業を任せるか。
・どのような組織体制にするか。
・どの企業を買収するか
・どこに製造拠点を設けるか。
・これに予算をいくら配分するか。
組織におけるこのような一つひとつの意思決定が、結果として企業全体の「業績」につながっていきます。
業績を上げるには、意思決定の誤りを減らし、より適切な意思決定を続けなくてはなりません。
多くの企業では、人事評価の結果、過去に成功した人ほど、重要な意思決定をするポジションに就いています。
つまり、企業における意思決定者とは「過去の成功を体験してきた集団」だとも言えるでしょう。
あるメンタルモデルで何度も成功を体験すると、ますます「○○とは○○だ」とメンタルモデルが強化されます。
極論すると、企業における意思決定者は「メンタルモデルによる意思決定の誤りを犯しやすい集団」だと言えるかもしれません。
メンタルモデルは、社内で「当たり前のこと」として話されていることの中に潜んでいます。
・A事業は気候の影響を受けやすいビジネスだ。
・毎年2月と8月は売れない。
・新人がこの仕事を覚えるまで10年はかかる。
・顧客は品質よりもスピードを求めている。
・安い方が売れる。
・定例会議は必ず全員が参加するものだ。
・この事業で5%以上の利益率を出すのは難しい。
私たちがクライアント企業先で耳にするものだけでも、枚挙にいとまがありません。
先に紹介したアメリカの教育機関の調査では、売上が伸びなくなった企業に共通する要素がありました。
それは、「過去に成功した戦略の『前提』が、すでに効果的でなくなっていたにもかかわらず見直されていなかった」ということです。
私たちは、エグゼクティブコーチとして、経営者が「当たり前」だと思っていることに質問を投げかけます。
「本当にそうなのでしょうか?」
「なぜ今のこの環境でもそうだと言えるのでしょうか?」
「どのような時にその前提は変わりますか?」
こういった質問が、経営者の「変化」への適応力をさらに高めていくと考えているからです。
ちなみに、これまでのエグゼクティブ・コーチングの経験で私が感じていることがあります。
それは、全く新しい事業の創出など、「これは過去に経験したことがないものだ」とクライアントが感じているものについては、使う金額は小さくても意外と慎重な意思決定がなされる傾向があること。
一方で、数十年に渡って売上の大半を占めてきたような主力事業については、毎年莫大な金額をかけているにも関わらず、これまでの「前提」をさほど疑うことなくスピーディーに意思決定がされていく傾向がある、ということです。
メンタルモデルによる意思決定の特徴から考えると、私たちは「大きな変化」や「急激な変化」には気付くことが出来る一方で、「小さな変化」や「少しずつの変化」は見落としがちになります。
しかし、本当に「大きな変化」「急激な変化」だと言えるものはどのくらいあるのでしょうか。
「技術革新による急激な変化だ」と感じているものも、実際には数十年も前から続いている「小さな変化の積み重ね」であることが多いのではないでしょうか。
『ビジョナリー・カンパニー』シリーズで有名なジム・コリンズは「大きな変化は少しずつやってくる」と言っています。 (※3)
「小さな変化」に気付くことこそが、「大きな変化」に対応するということではないのでしょうか。
ロンドン・ビジネススクールのコンスタンティノス・マルカイズは、新しい情報を取り入れ、新たなアイデアを採用するためには「自分たちのメンタルモデルを絶えず問い直すことが不可欠である」と述べています。(※4)
「小さな変化」に目を向け、自らのメンタルモデルを絶えず「問い直す」ことは、意思決定の誤りを減らし、企業の業績をより向上させる可能性があるのです。
【参考資料】
※1)
『ファスト&スロー(上)あなたの意思はどのように決まるか?』(早川書房)
ダニエル・カーネマン(著)、 村井章子(翻訳)
※2)
『ストールポイント企業はこうして失速する』(CCCメディアハウス)
マシュー・S・オルソン (著)、デレク・バン・ビーバー(著)、斉藤裕一(翻訳)
※3)
『ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則』(日経BP社)
ジム・コリンズ (著)、山岡 洋一 (翻訳)
※4)
※2)より引用
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