プロフェッショナルに聞く

さまざまな分野においてプロフェッショナルとして活躍する方たちに Hello, Coaching! 編集部がインタビューしました。


「ダボス会議」を通して考える日本の未来
東洋大学教授 慶應義塾大学名誉教授 竹中平蔵 氏

第4章 フォー・ザ・パブリックという想いから生まれる行動力

※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。

第4章 フォー・ザ・パブリックという想いから生まれる行動力
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毎年1月になると新聞やテレビ、ウェブメディアなどで目にすることが多くなるダボス会議(世界経済フォーラム年次大会)。しかし、実際にどのような影響力をもつ会議なのか、実態がよく見えないと感じている方も多いのではないでしょうか。今回は2007年から10年にわたり、世界経済フォーラムの理事を務めている竹中平蔵氏にダボス会議の目的や、どのように運営されているか、また、どういったかたちで世界に影響を与えているかについてお話を伺いました。

第1章 「国のIRの場」としてのダボス会議
第2章 ダボス会議は「決定する会議」ではない
第3章 変化し続けるダボス会議 
第4章 フォー・ザ・パブリックという想いから生まれる行動力

※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。

第4章 フォー・ザ・パブリックという想いから生まれる行動力

最終回では、竹中氏自身を行動にかきたてる原点についてお話をうかがいました。

フォー・ザ・パブリックという哲学の生まれた原点

竹中さんは一橋大学を卒業後、日本開発銀行に入られます。当時、どのようなことを考えて、日本開発銀行を選択されたのですか。

竹中 学生時代から、「フォー・ザ・パブリック」という想いを強くもっていました。でも、役人にはなりたくなかった。それで、政府系の金融機関に入りました。パブリックのいいところと、民間のいいところの両方をもっていることを期待していましたが、その点では多少期待外れなところもありましたね(笑)。非常に感謝しているのは、日本開発銀行時代に、ハーバード大学の大学院に留学する機会をいただいたことです。留学し、改めて学問の場に身を置き、「ああ、やっぱり自分は学問の道を行きたい」と思いました。当時書いた本(『開発研究と設備投資の経済学』東洋経済新報社 1984年)が、サントリー学芸賞、エコノミスト賞などをいただいたこともあり、学者の道に進むことにしました。

「フォー・ザ・パブリック」という精神は、どこからくるものなのでしょうか。

竹中 私は、地方の田舎の商店街で生まれ育ちました。周囲に大学に行った人はいませんでしたし、私自身、小学校、中学校の頃は、自分が大学に行けるかどうかもわかりませんでした。そんな中、兄が「東京の大学に行きたい」と父を説得して、大学に行ったのです。兄のおかげで、次男の私も自動的に大学に進めるようになりました。

私の父は、兵隊にとられて戦争に行き、戦争が終わってから、無一文の中で私たちを育ててくれました。朝早くから遅くまで店を開けて商売をしていましたが、決して豊かではなかった。そういう父親を見ていて、「こんなふうに、普通に頑張っている人が、もっと豊かになる社会にならなきゃいけない」と思ったんです。それが、フォー・ザ・パブリックの原点です。

世の中をよくするにはどうしたらいいのか

高校時代に、東京教育大学、今の筑波大学を卒業した倫理社会の若い先生がいました。その先生は、他の先生とは違っていました。他の先生は「受験をどうするか」といった話しかしないのですが、その先生は「社会は大事だ」というような話をする。そこで、その先生が宿直のときに、コーラとおかきを持って宿直室まで訪ねて行きました。

先生に「世の中をよくするには、どうしたらいいんですか」と聞くと、「それは僕にもわからないけれど、世の中というのは、基本的なことがとても大事なんじゃないのかな」というわけです。「基本って何ですか」と続けて聞くと、「経済とか、法律とか、そういうことだよ」と答えてくれました。その瞬間に僕は「経済を勉強したい」と思ったんです。単純な話です。

小泉さんの行動力に期待

高校時代の恩師との出会いがもたらしたその思いが、竹中先生の行動力の源になっているのですね。

竹中 小泉(純一郎)さんが総理大臣になったときに「この人は日本を変えてくれる」と思い、一大決心をして、慶応大学を辞めて政府に参加しました。大学にはもう戻れないという覚悟でした。でも、世の中にはそれなりに救ってくれる手もあって、大臣を辞めたときに、村井純さんたちが手を差し伸べてくれて、慶応に戻ることができました。これは奇跡的なことだったと思います。

半径10メートルでやれることをやろう

いま、竹中さんが一番熱を注いでること、前進させたいと思っていることを教えてください。

竹中 それは「第4次産業革命」ですね。日本はすごくポテンシャルがあると思うので、政策面でもっとそれを後押しできるといいと考えています。私は政策分析の専門家を職業にしているので、引き続き、これで頑張りたいというふうに思うのがひとつです。

それからもう一つは、半径10メートルで、自分ができることを一所懸命やること。総理大臣に仕えて、総理大臣になってもできることとできないことがあると知りました。私自身、大臣になって全力を尽くしたつもりだけれども、やはり、やれたこととやれなかったことがあります。極限状態で5年5ヶ月を過ごしても、やれないことがある。結局、どんなに権力があるように見える人でもやれないことがあるのだから、それなら逆に、自分ができる範囲、半径10メートルで、自分ができることを一所懸命やるのが大事だと思っています。自分ができることをみんなで一所懸命やったら、世の中は絶対よくなると思うんです。

私が半径10メートルでできることは何かを考えたとき、やはりグローバル教育だと思っています。私は帰国子女ではないし、英語の弁論部に入っていたわけでもありません。普通の県立高校を出て、普通の英語教育しか受けてない人間でも、ダボスの理事会に出ることができるのだから、誰だって私レベルにはなれるのです。これだけは、自信をもって言うことができます。半径10メートルでできることとして、若い人たちにそれを伝えるための「世界塾」というものを始めました。「世界塾」の最初には、「必ず僕ぐらいにはなれる」という話をします。

理由は後付けでいい

学生にウケるのは、「いい男」「いい女」になろうという話です。「世界にはすばらしい場所や、すばらしいものがたくさんある。世界は面白いぞ。グローバル・アジェンダを解決できるような、そんな人生を送るんだ。そのためにはまず稼ぐ力が必要だ」と話します。「いい男」や「いい女」という言葉には、全員反応するんですよね(笑)世の中は、やはりそういうところで動いていると実感しますよ。世の中で活躍している人たちの話をいろいろ聞いていくと、結局モテたかったという話にたどり着くことが多いのは事実です。でも、人間の動機なんて、そんなものでいいと思うんですよ。

それをきっかけにいろいろとやっているうちに、自分の道が見えてくることがあります。これはよく例に出す話ですが、「クックパッド」創業者の佐野くん(佐野陽光氏)は、「人生には笑いが大切だ」と考え、笑いや微笑みはどこで生まれるか、家庭の食卓だと思い、レシピサイトを始めたと言います。でも、それは表向きの話で、そんなふうに考えるようになったのは、随分あとからだったと言っていました。無我夢中でやっているうちに、自分がやっていることには意味があるということがわかってきたと話していました。おそらく、人生というのはそんなものだと思うんですよね。

非常に勇気をもらえるお話をうかがいました。どうもありがとうございました。


(了)

聞き手・撮影: Hello Coaching!編集部

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