さまざまな分野においてプロフェッショナルとして活躍する方たちに Hello, Coaching! 編集部がインタビューしました。
株式会社ネクストベース 神事努 氏
第1章 『マネー・ボール』からスポーツアナリティクスはどう変化したか
2019年05月28日
※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。
「トラックマン」というデータ計測機器について耳にしたことがあるだろうか。プロゴルファーが使い始めて一躍有名になった、弾道を測定する高性能の機器だ。トラックマンを使うと、ヘッドスピードやスイング軌道だけでなく、ボールが当たる瞬間のクラブのフェースの面の向きや角度など25項目にも及ぶスイング数値が一瞬で弾き出されるという。その後、テニスや野球などでも使われ始め、現在、日本のプロ野球でもほとんどの球団が導入している。トラックマンのような高性能の機器が次々開発され、さまざまなデータが取れるようになり、スポーツアナリティクス(スポーツにおけるデータ戦略)は格段に前進したという。プロ野球チームにデータを活用したコンサルティングを行う株式会社ネクストベースのフェローであり、バイオメカニクスの研究者である神事努氏に、スポーツアナリティクスの現在についてお話を伺った。
第1章 | 『マネー・ボール』からスポーツアナリティクスはどう変化したか |
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第2章 | データを能力開発に活かすということ |
第3章 | データ時代のコーチの存在意義 |
第4章 | これからのスポーツの楽しみ方 |
※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。
第1章 『マネー・ボール』からスポーツアナリティクスはどう変化したか
「スポーツアナリティクス(スポーツにおけるデータ戦略)」の重要性が一般に認知されたのは、『マネー・ボール』で注目されたオークランド・アスレチックスのデータ戦略がきっかけでした。それ以来、テクノロジーの進化によって取得できるデータが増えたことを背景に「スポーツアナリティクス」への関心はますます高まっています。スポーツアナリティクスはどのように進化し、チームや選手にどんな価値をもたらしているのでしょうか。
勝つためのデータから、能力開発のためのデータへ
『マネー・ボール』の時代から、スポーツアナリティクスはどのように変化してきているのでしょうか。
神事 『マネー・ボール』の時代のデータ分析は、セイバーメトリクスといって統計学をベースにした手法でした。使われるのは選手の価値がどのくらいあるのかを評価するためのデータです。簡単に言うと、打率、ホームラン数、防御率、勝率など「結果」として表れている数字をより深く分析したものになります。例えば、打者のセイバーメトリクスにOPS(長打率+出塁率)というものがあるのですが、打率や打点よりもより得点に影響が強いことが明らかになっています。現在はそこから先に進んで「なぜその結果が出ているのか」ということがわかるようになりました。つまり、トラックマンのような高性能機器の登場によって、「原因」に関する情報が手に入るようになりました。結果に対する原因を因数分解できるようになったおかげで、選手一人ひとりが自分の能力を高めるために何をしたらいいかという行動目標を立てやすくなってきています。
もう少し具体的に述べていきましょう。今のセイバーメトリクスでは、打者の攻撃力を測る指標として「wOBA」(Weighted On-Base Average)がよく使われています。安打や四球など出塁を伴う要素に、得点価値を加重して算出します。たとえば「勝つためにはどうしたらいいか」から逆算すると、ヒットの価値とホームランの価値は異なります。ヒットの価値とホームランの価値、二塁打の価値、三塁打の価値、フォアボールの価値、三振の価値と、その人がバットを振った球に対して重みづけをすることで、その選手の打撃能力を評価することができます。
でも、打者の立場に立ってみれば、その数値だけではうまくなるために何をすればよいかわかりません。そこで出てきたのがトラッキングデータです。「打球の速度が150キロ以上だと二塁打が増える」というデータと「長打を放つためには19度の上向きの角度でバットを振るといい」というデータがあれば、「19度の上向きで150キロで振ればいい」ということがわかります。そうすれば「スイングをこうしてみよう、そのためにはウェイトトレーニングをしよう」という計画を立てることができます。さらに筋肉量が75キロ以上だと目標とする打球速度が出るというのがわかれば、そのためにどのような食事を摂るか、トレーニングの頻度・回数・強度をどうするかというように、日々の生活の中でデータが活きてきます。僕の専門は、スポーツや身体運動における「動き」や「力」に関するバイオメカニクスという研究分野ですが、データ分析において、バイオメカニクスの重要性が高まってきています。(参考記事:フライボール革命は日本人に不可能なのか?)
『マネー・ボール』の時代のスポーツアナリティクスを1.0とすれば、いまは2.0か3.0。1.0の時代、データは主に勝つために使われていましたが、現在は「プレーヤーズ・ディベロップメント(選手の能力開発)」がキーワードです。今のアナリティクスの焦点は「選手がどのように成長していくことができるか」ということです。静的なデータから、より動的になりつつあるというとわかりやすいでしょうか。
1979年生。バイオメカニクスを専攻し、中京大学大学院にて博士号を取得。学位論文では、投手が投球したボールの回転速度、回転軸角度を数学的に算出。第18回日本バイオメカニクス学会奨励賞、第55回東海体育学会奨励賞、日本バイオメカニクス学会優秀論文賞、秩父宮記念スポーツ医・科学賞奨励賞を受賞。2007年から国立スポーツ科学センター(JISS)のスポーツ科学研究部研究員。北京オリンピックでは、女子ソフトボール代表チームをサポートした。国際武道大学を経て、2015年4月から國學院大學人間開発学部健康体育学科に着任。バイオメカニクスを担当。国際武道大学時代に、楽天ゴールデンイーグルスにてトラックマンを使った選手の能力開発のサポートを経験。その後、データによるスポーツチームの強化を広めることを目的に、現社長の中尾氏らとともに株式会社ネクストベースの立ち上げに関わる。
株式会社ネクストベース
データの意味づけが可能になった
セイバーメトリクスでとったデータに「意味づけ」ができるようになったというのが大きな変化なのですね。
神事 それが一番の違いです。個人的におもしろいと思うのは、日本では1.0の時代にはスポーツアナリティクスはあまり受け入れられなかったのに、2.0と3.0の時代になって非常に注目されているという点です。
僕は、日本では「成長」とか「教育」に対する興味が高いからではないかと考えています。たとえば、多くの日本国民は高校野球が好きですよね。それは選手がどれだけ頑張ったか、3年間でどれだけ伸びたかというところに心を動かされるからなのではないでしょうか。『はじめてのおつかい』というテレビ番組も人気ですが、日本人には、人が苦労して何かを乗り越えていく姿が見たいという気質があるのかもしれませんね。
そのせいか、成長にフォーカスするデータになって、日本では急激にスポーツアナリティクスが進み始めたように感じます。セイバーメトリクスのことを「数字遊び」と言っていた人たちも、自分たちの経験と勘を補強してくれるデータだと非常に熱心に学びます。
ただ、トラッキングデータはセイバーメトリクスの意味づけとなるデータなので、どちらのデータも必要です。両方そろわなければ、そこに「意味」は生まれません。セイバーメトリクスのデータだけでは「何をすればいいかわからない」という問題がありましたが、一方でトラッキングデータだけでは「何のためのデータかがわからない」ということです。
日本のスポーツアナリティクスが抱えるリスク
神事 たとえば「ボールはきれいなフォームで投げなさい」という指導がありますが、野球は採点競技ではありません。野球の構造があり、そのために何をするかがわかった結果としての「きれいなフォーム」です。それを忘れてフォームにこだわりすぎるとその本質を見失います。フォームは汚くても、勝てればいいのですから。
そういう意味では、日本の場合、セイバーメトリクスが理解されないままトラッキングデータに注目が集まっている分、データの意味づけが捻れてしまうリスクをはらんでいると思っています。なぜなら、自分の感覚の修正が必要になるデータは嫌がられる傾向が見受けられるからです。自分にとって好ましいデータしか見ないようであれば、事実は見えてきません。「いいことも、悪いこともみる必要があります」ということをもっと伝えていかないといけないと思っています。
(次章に続く)
聞き手・撮影: Hello Coaching!編集部
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