各界で活躍される経営者やリーダーの方々に、ご自身にとっての「リーダーとしての哲学」お話しいただく記事を掲載しています。
第1章 社長の機嫌がよくなった
2020年11月17日
本記事は、2020年9月28日に行われたイベントでの、さくらインターネットの田中邦裕CEOと、田中CEOのコーチを務めるコーチ・エィのエグゼクティブコーチ 栗本渉の対談をまとめたものです。
さくらインターネット様は、2009年から、エグゼクティブ・コーチングやリーダーへのコーチングなどさまざまなスタイルでコーチングを活用されています。
対談
さくらインターネット株式会社CEO 田中邦裕氏株式会社コーチ・エィ副社長執行役員 栗本渉
ゲスト
さくらインターネット株式会社執行役員 横田真俊氏さくらインターネット株式会社 ES本部 ES部 人材支援マネージャー 矢部真理子氏
※「ES」は「Employee Success」の略
第1章 | 社長の機嫌がよくなった |
---|---|
第2章 | 「田中さんの会社」から「さくらインターネット」へ |
第3章 | コーチとメンターの違いは? |
第1章 社長の機嫌がよくなった
司会 対談に入る前に、田中さんがコーチングを受けられるようになった最初のきっかけを教えてください。
田中氏(以下敬称略) 人事から言われて仕方なく、です(笑)。最初は断ったのですが押し切られました。僕自身、起業家ですから「そんなコンサルみたいな人はいらん」と断ったのですが「まあまあ」と言われて仕方なく。そんな感じです(笑)。
司会 なるほど。「仕方なく」スタートされたわけですね。
田中 最初の一年くらいは僕も乗り気ではなかったので、時間をなんとなくやり過ごす感じでした(笑) ただ、コーチングを始めた頃はちょうど「データセンターを作りたい」と思っていた頃だったんですね。その話をしたら、コーチから「なんでやりたいのにやらないのか?」と問われました。
コーチングでは、その事業をやるべきかどうかについてアドバイスをもらうというより、僕がなぜそれをやりたいのか、そこに至る考えやそのことについてどう思っているかといったことについて質問を投げかけられます。問われて答える。また問われてまた答える。それを何度も繰り返すうちに「うん、こういうことがしたかったんだ」と気づく。そんなプロセスでした。
司会 乗り気でなくコーチングを始められたとのことですが、田中さんはそれ以来ずっとコーチをつけていらっしゃいます。田中さんがコーチングの価値を実感されていったプロセスについては、後ほどゆっくりお話をお聞かせください。まずは、ゲストとしてお越しいただいた、さくらインターネットの執行役員である横田様とES本部マネージャーの矢部様のお二人に、コーチングを受けての田中さんや組織の変化についてお話を伺います。まず矢部様から、田中さんの変化として感じていらっしゃることをお話しいただけますでしょうか。
矢部氏 コーチングを受けるようになって、田中はとても穏やかで機嫌がよくなりました。単純なことのようですが、社長の機嫌がいいというのは、会社にとってとても大事なことだと思うんです。トップの機嫌がいいと、すぐ下の役員の機嫌もよくなります。それがさらに下に伝わっていき、組織全体に機嫌のよさが伝播していくのではないでしょうか。その点は以前と大きく違うところです。
司会 「ご機嫌」が伝染するんですね。矢部さん、ありがとうございました。次に横田さんはいかがでしょうか。社長の変化をどのようにみていらっしゃいますか。
横田氏 大きく変わったのは、部下に権限委譲してくれるようになった点です。昔の役員会では、発言するのはほとんど田中。他の役員は黙って聞く感じでした。我々の側も、田中が意見を聞いてくれないのではないかと疑心暗鬼に思っていましたね。それが一年ほど前から徐々に仕事を任せてくれるようになり、矢部の言うように機嫌もよくなりました。
最近は、役員会議でもお互いにフィードバックをしながら会話ができている実感があり、経営陣が一つのチームになってきたように感じます。我々役員もまた、部下に任せようというマインドが強まり、それによって田中も私も、もっと大きな長期ビジョンなどを考えられるようになりました。
経営者の課題やコーチングのテーマは、会社の成長ステージとともに進化する
栗本 田中さんは、今の矢部さんと横田さんのお話をお聞きになってどう思われましたか。
田中 2009年から約11年間コーチングを受けてきましたが、時とともに自分の課題が変わっていったことを振り返っていました。
1978年、大阪府生まれ。 学生時代に高専でNHKロボコンに明け暮れるかたわら、学校で触れたインターネットに感動して、1996年にさくらインターネットを学生起業。当時は珍しかった、インターネットサーバーの事業を開始する。 ネットバブル期にVCから資金調達し、2005年に東証マザーズへ上場、2015年に東証一部上場。 バックグラウンドはエンジニアでありながらも、自らの起業経験などを生かし、スタートアップ企業のメンターや、IPA未踏のPMとして学生エンジニアの指導等にあたる。自らも一ヶ月の休暇を取り、各社の社外取締役やメンターとしてパラレルキャリアを実践したり、大阪と東京のほか昨年末より那覇にも居を構えてリモートワークを実践するなど、新しい働き方を模索中。 2018年度よりIPA未踏プロジェクトマネジャー。 株式会社アイモバイル・株式会社i-Plug・株式会社ABEJAの社外取締役、コンピューターソフトウェア協会(CSAJ)副会長 、日本データセンター協会(JDCC)副理事長など、社長業以外の外部活動にも力を入れている。
栗本 たしかに最初と今とでは、お話ししていることの焦点が全く違いますよね。
田中 コーチングを受け始めた2009年当初は、新しいビジネスが出てこないという課題に対して「自分はこれをやりたい」というものがありました。栗本さんから「なぜ田中さんがやりたいようにやらないの?」と問われ、自らさくらのクラウドサービスをプログラムするなどして動き始めたんですよね。
当時の売上規模は100億円くらいのステージで、そこをいかにブレイクスルーするかがテーマでした。それが200億円を超えた頃から、一人では立ち行かない状況を放置していることが課題となり、さらにここ2年ほどは、チームや他の役員との関わりがテーマになっています。
横田さんの話を聞いて、経営のステージごとにコーチングの内容も変わっていったんだなと、そう思いました。経営者の課題はステージによって変化するものであり、各ステージでの課題を超えない限り、成長は停滞してしまうと思いましたね。
栗本 お会いした当時、既に田中さんの下には300人弱の人がいらっしゃったと思います。その人たちをどうリードするのか、マネージするかということがテーマになっていましたが、田中さんが自分ひとりの力でなんとかしようとされてることに焦点を当てた記憶があります。最初にお会いした時に「経営者としてどのような本を読まれていますか」と伺ったら「リーダーシップやマネジメントの本は読まない」とおっしゃっていましたよね。
田中 はい、リーダーシップやマネジメントについて、本を読むことはなかったですね。当時は、僕が自分でやったほうがよいと思えるギリギリの規模感でした。でも今は、新しく入社する人も含め、僕よりも業界の知識が深い人たちが社内に増え、自分がやったほうがよいというわけではないと考えています。
5年後やさらに先を見据え、売上規模も300億、500億、社員数も1,000人、2,000人とステージが上がっていくと、コーチングのテーマも変わっていくでしょうね。できればその変化のスピードを上げていきたいです。
栗本 そうですね。
(次章に続く)
対談日:2020年9月28日
内容および所属・役職等は当時のものを掲載しています。
表紙写真: さくらインターネット株式会社提供
※営利、非営利、イントラネットを問わず、本記事を許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。転載、その他の利用のご希望がある場合は、編集部までお問い合わせください。