Hello, Coaching! 編集部がピックアップした本の概要を、連載形式でご紹介します。
ケン・マネジメント代表 佐藤 けんいち 氏
第4回 都市型ライフスタイルを送る現代人特有の「2つの意識」
2017年11月06日
「逆回し」で見えてくる「現在」の本質!
第1回 | 「現在」を知るために「歴史」をさかのぼる |
---|---|
第2回 | トランプ大統領が誕生した裏には、どんな潮流があったのか |
第3回 | 今の都市型ライフスタイルは、どんな風につくられてきたのか |
第4回 | 都市型ライフスタイルを送る現代人特有の「2つの意識」 |
第5回 | 「歴史の三層構造」の視点を用いて歴史を見る必要性 |
さて、今回は「見えないもの」として現代人の「意識」について取り上げて考えてみよう。「常識」というものは、あくまでも脳内世界の存在であるが、自分自身の意識もさることながら他者の意識を知ることはそれ以上に難しい。しかも、生活が習慣化していると無意識となる。「自由な個人」として思考し、行動している。そうは思っていても、実は必ずしもそうではない。無意識のうちに「習慣」となったことを繰り返しているのが日常生活というものだろう。
「近代」がもたらした「意識」の変化
「意識」そのものを対象としてとらえることは難しいが、その時代に生きる人たちには最大公約数的に共通するものがある。都市型ライフスタイルを送る現代人特有の「意識」があるということだ。「意識」については、「空間意識」と「時間意識」の2つの側面から考えてみよう。人間は「空間」と「時間」の中に存在しているからだ。
「空間意識」と「時間意識」
「空間意識」については、人間は成長するにしたがって、自分が生きている空間が拡大していくことを実感する。母親を中心とした自分の身の回りの世界から、隣近所、そして幼稚園を経て小学校からさらにその上の段階に進学していくにつれて、視野が拡大する。日本人の場合は大学進学、仕事などの理由による移住の過程を通して、問題関心も地元から地域全体、さらには日本全体から世界、あるいは宇宙へと拡大していく。「空間意識」の拡大は、一方では自分が把握している空間が縮小していく感覚と裏腹の関係にある。自分が生きている世界にかかわってくるのが身の回りだけでなく、地域社会や日本全体、そして国際情勢もまた日常生活に影響を及ぼしていることを実感するようになる。空間意識が拡大するにつれて、世界が狭くなるという逆説的な関係にあるわけだ。
「時間意識」については、人間が成長するにつれて、時間を意識せざるをえなくなっていくのは、学校制度が定時に始まり定時に終わるという仕組みで設計されているからだ。授業時間は時間単位で区切られ、12時にならなければ昼食を食べることはできない。遅刻が発生するのは始業時間が決まっているからである。そもそも学校というのは、そういう時間感覚を身につけさせるためにつくられた制度なのである。この時間感覚が身についていないと、ビジネスパーソンに限らず仕事人としては失格ということになる。
学校生活は、入学から始まり卒業で終わる。その間は複数の年度で構成されているが、年度そのものは、現在の日本の場合、4月から始まって翌年の3月に終わる。この間の一年は月ごとの年中行事で埋め尽くされているわけで、ある意味では毎年同じことが繰り返される。そこにあるのは「循環的時間」である。その一方で、学年は一年生から二年生、そして最終年度へと進んでいく。落第する場合を除けば同じ年度を繰り返すことはない。つまり学校生活は不可逆的なのである。そこにあるのは「直線的時間」である。学校とは、「循環的時間」を生きながら、同時に「直線的時間」を生きる経験を体感させる制度であり、施設であると言い換えることもできるだろう。
だが、「前近代」においてはそうではなかった。その年どしによって変化はあっても、基本的に同じ場所に住み、同じ職業に従事し、世代を超えて同じことを繰り返していけば、その当人は自然と年を取り、世代交代していくというのが、人口の大半を占める農民の生き方であった。「近代」になってから、「時間意識」に大きな変化が生じたのである。だがそれは突然変化したわけではない。知らず知らずのうちに、気が付いたら時間に追われる感覚になっていたというのが真相だろう。
「空間」が「時間」化される
世界で最初に「世界一周」したのは16世紀スペインのマゼランとされている。ただ、マゼランの世界一周はあくまでも冒険航海の一環であって、普通の人が「世界一周」できるようになったのは、19世紀半ば以降のことである。まだ200年も経っていない。「前近代」社会においては、ほとんどの人が移動することなく同じ地域のなかで生まれ育ち、働いて死んでいくのが当たり前だった。「産業革命」以降にはテクノロジーの発達が交通機関の発達を促した。交通機関の発達によって「空間」が「時間距離」に換算され縮小していったのである。
「空間意識」は人間が成長するにつれて拡大していくものだが、これが加速されたのが19世紀以降の世界である。動力源が石炭から電気に移行したことで蒸気機関車は電気機関車となり、19世紀には石油を動力源とする内燃機関の自動車が誕生し、さらにはディーゼル機関車は電気機関車となり、スピードの向上が移動範囲の拡大をもたらしていく。20世紀後半になってから旅客機の普及により地球が狭いと感じるようになり、ついには地球が有限だと気がつくことになる。
「資本主義」とは、空間を時間差に変換し、その際を縮小していく運動ということができるが、「世界市場」化によって資本主義にとってのフロンティアが地球上から消失していったのは、ある意味では必然というべきなのである。人類はもうそこまで行きついてしまったのだ。
(次回へ続く)
この記事を周りの方へシェアしませんか?
※営利、非営利、イントラネットを問わず、本記事を許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。転載、その他の利用のご希望がある場合は、編集部までお問い合わせください。