書籍紹介

Hello, Coaching! 編集部がピックアップした本の概要を、連載形式でご紹介します。


アメリカンドリームの終わり あるいは富と権力を集中させる10の原理
ノーム・チョムスキー

第5回 (原理5) 連帯と団結への攻撃

第5回 (原理5) 連帯と団結への攻撃
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※本稿は、ノーム・チョムスキー著『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』の第1章から第5章までを抜粋編集したものです。

ノーム・チョムスキーの新著、「アメリカンドリームの終わり」を紹介する連載、最終回となる5回目です。前回の記事では、世界がプルトノミー(金持ち経済圏)とプリケアリアート(超貧困層)に分断されていること、社会のシステムはごく少数の人に、より多くのお金を集めるようになっていることを説明しました。歴史の中ではこういった流れに逆らう、貧民層による多くの反撃が実施されてきました。それは、「連帯」と「団結」です。しかし社会の所有者たちはこれらを休みなく弾圧し続けたのです。彼らがどういった手段で、個人同士のつながりを食い止め、「連帯」と「団結」に攻撃をしてきたのかを見ていきましょう。

原理1 民主主義を減らす
原理2 若者を教化・洗脳する
原理3 経済の仕組みをつくり変える
原理4 負担は民衆に負わせる
原理5 連帯と団結への攻撃

原理5 連帯と団結への攻撃

支配者にとって、民衆の「連帯」というのはきわめて危険なものです。世界の支配者の観点からすれば、わたしたちはただ自分のことにかまけていればいいのであって、他人のことに気をかけてはならないのです。支配者たちの師ともいえる、アダム・スミスはどのように考えていたのでしょうか? 実はまったく異なるものでした。彼の経済学のすべては「同情・共感」という人間の基本的な特性にその原理を置くものだったからです。けれども、そのような考え方は、経営者からすると、人びとの頭から取り払わなければならないものなのです。「他人のことは気にかけるな」という下劣な格言は、富裕層や特権階級にとっては結構なことでしょうが、残りのすべての人にとっては破壊的なものです。

この「同情と共感」という人間の基礎をなす感情をひとの頭から追い出すために、これまで、多大な努力が払われてきました。そのひとつの例を、社会保障に対する攻撃に見ることができます。国家の政策を議論する際にいつも大きな話題になるのは、社会保障の危機という問題です。しかし、調べてみればわかるように、実際はそういう危機など存在しません。社会保障は財政的にはなんの問題もありません。ところが、社会保障の議論になると、いつも議論の中心になるのは、このままだと赤字になるということばかりです。なぜなら、社会の所有者・支配者が、社会保障というものを好まないからです。なぜならそれは一般民衆にとって利益になることだからです。

実は彼らがそれを憎む、もうひとつの理由があります。それは社会保障が基づいている「連帯と団結」という原理です。連帯というのは、お互いに他者を思いやるということです。社会保障は「私は税金を払います。そうすれば、町のはずれにひとり寂しく住んでいる未亡人でも、その資金でなんとか生きていく手段を手に入れることができますから」という考え方に基礎を置くものです。国民の大多数にとっては、それが生き抜いていく手段となりますが、富裕層にとって、それはほとんど意味のないことです。だから、かれらは力を合わせてそれを破壊しようと試みます。そのひとつの方法が、社会保障の予算を削るという手法です。気に入らない政策を破壊したいとき、一番簡単な方法が、その予算を削ったり廃止したりすることなのです。

もちろん人びとは腹を立て、別の方策を望むでしょう。しかし、それが彼らの狙い・付け目なのです。その時こそ、その制度の民営化を提案すればいいのですから。それが、アメリカ国内だけでなく、世界に一般的にみられる政治的手段です。

公教育への攻撃

公教育についても、同じような攻撃をみることができます。公教育という制度は連帯の原理に基づいているからです。連帯の原理に従えば、多くの人は「わたしは喜んで公教育のために税金を払います。そうすれば、わたしの向かいの家の子どもたちが学校に通えますから」と思うことでしょう。しかし、支配者たちはそういった考え方を人びとの頭から追い払わなければいけません。「俺には学校に通うような子どもはいない。なぜ俺が公教育のために税金を払わねばならないんだ。学校を民営化しろ」というわけです。こうして公教育制度は、いま猛攻撃を受けているのです。しかし、公教育はアメリカ社会にとって、宝石のような、守るべき存在のひとつです。

再びあの黄金時代に戻ってみましょう。1950年代、60年代の経済が大きく成長した時期です。その経済成長の多くは、無料の公教育のおかげでした。しかしながら、いまでは事態はまったく変わってしまいました。合州国の半分以上の州で、州立大学の財源のほとんどは、州政府からの交付金ではなく、学生が自分の懐から払う授業料になってしまっています。これは公教育制度を根本的に変えるものでした。

授業料は、いまや学生には恐るべき負担になってきています。よほどの富裕層の出身でない限り、学生は巨大な借金を抱えて大学を中途退学せざるを得ないようになってきています。巨大な借金を抱えると、学生はネズミ取りに捕まったネズミのようになります。1950年代のアメリカは、現在よりもはるかに貧しい社会でした。それでも、無料の大衆高等教育、すなわち州立大学を運営することは、いまと比べてはるかに容易なことでした。ところが、いまアメリカ社会は当時と比べればずっと豊かになっているはずなのに、そのような財源はないと主張しているのです。

これがいま、私たちの目の前で起こっていることです。これが、アメリカが依って立つ諸原理に対する総攻撃なのです。その原理は、人間が本来もつ人間的感情に基礎をおくものであっただけでなく、このアメリカ社会の繁栄と健全さの「土台」となっていたものでもあったというのに。

連帯と団結への復帰

では、どうすればわたしたちは高等教育をもっと身近なものにできるでしょうか。答えは実に簡単です。実行すればよいだけです。ちょっと世界や自分自身を見つめ直してください。そうすれば、この問題に対する実に簡単な答えが見つかるはずです。たとえばフィンランドは、公教育がどれだけ達成したかを測る指標のいずれにおいても、常に上位を占めています。1位になっている項目も少なくありません。では、かれらは大学に行くのに、どれだけ支払っているのでしょうか。ゼロです。無料なのです。また、メキシコはかなり整った高等教育の制度をもっています。非常に貧しく、人びとの平均年収は極めて低いにもかかわらず、高等教育は驚くことに無償なのです。

無償の教育をあたえることのできない経済的理由はありません。あるのはただ社会的・政治的理由です。高等教育を無償にすることによって経済はむしろよくなっていくことはほとんど確実なのですから。もっと多くの人が自分自身を自己開発する機会をもち、高等教育で身につけたもので社会貢献をすることができれば、経済がよくならないはずないのですから。

最後に

ここまでお読みいただきありがとうございました。本記事では、「アメリカンドリームの終わり」の1章~5章までを抜粋しながらお送りしてきました。ここから続く章では、さらにアメリカ固有の社会、会社、組織、個人が持つ歴史を深掘りして、現在のアメリカ、そしてこの世界を形成する原理が述べられています。ここまでで興味をもたれた方は、ぜひ本書をお手に取ってみてください。

(了)

アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理

著者: ノーム・チョムスキー
出版社: ディスカヴァー・トゥエンティワン


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