プロフェッショナルに聞く

さまざまな分野においてプロフェッショナルとして活躍する方たちに Hello, Coaching! 編集部がインタビューしました。


野球経験ゼロから名門レッドソックスの日本人スカウトへ
ボストン・レッドソックス スカウト 嘉数駿 氏

第2章 1年半にわたる就職活動

※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。

第2章 1年半にわたる就職活動
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ハーバード大学を卒業後、野球の世界に飛び込み、現在はボストン・レッドソックスのスカウトとして活躍する嘉数駿(かかず しゅん)氏。野球チームのスカウトとは、いったいどんな仕事なのか? 嘉数さんが野球の世界に飛び込んだ経緯から、今後のビジョンまで、お話をうかがいました。

第1章 『マネー・ボール』との出会いが人生を変えた
第2章 1年半にわたる就職活動
第3章 野球の世界で働き始める
第4章 スカウトの仕事
第5章 誰でもスカウトになれる?
第6章 優れたスカウトに求められる3つの能力
第7章 スカウトは何で評価されるのか?
第8章 日本のスカウト、アメリカのスカウト
第9章 もっと多くの人に野球を楽しんでもらいたい

※内容および所属・役職等は取材当時のものを掲載しています。

第2章 1年半にわたる就職活動

『マネー・ボール』を読んで、野球の世界に惹かれた嘉数さん。実際の仕事に就くまで、1年半も費やしたそうです。いったいその就職活動はどのようなものだったのでしょうか。

野球は未経験だけれど「GMみたいな仕事をしたい」という思いで就活開始

野球界で仕事をするにあたり、どんな仕事をしたいと考えていたのですか?

嘉数 ぼんやりとですが、「チーム編成の仕事をしたい」と思っていました。言ってみれば、GM、ゼネラルマネージャーの仕事、映画でいうとプロデューサーみたいな仕事です。もともと野球が好きだったので、『マネー・ボール』を読んで、プレーをしたことがなくても、違うかたちで野球チームに関わることができるのであれば、ぜひやってみたいと思いました。

嘉数さん自身は、野球をされていたことがあるのでしょうか。

嘉数 野球の経験は、小学校でやったことがあるくらいです。中学・高校では、『スラムダンク』の影響もあって、バスケットボールをやっていました。だからプレイヤーとしての野球の経験はまったくありません。でも、日本にいるときは、毎日プロ野球を観ていたし、ボストンは野球がとても盛んな街だったということもあって、大学時代もよく観戦しました。野球を観るのは、昔からすごく好きでした。

野球の経験もないんですね。いろいろ重なったとはいえ、野球界へ進んだのは、ほんとうに「思いつき」のような感じに聞こえます。

嘉数 はい。最初は「ちょっと、これをやってみたいな」という感じでした。それで、すぐにその世界に入れると思ったら、もちろん全然そんなことはなくて、結果的に、1年半ほど就職浪人をすることになりました。最初はアメリカの球団で経験を積んだほうがいいと思い、アメリカの球団を対象に活動を始めたんです。定期採用をしているわけではないので、ありとあらゆる球場や球団に履歴書を送ったのですが、なしのつぶて。そんなときに、ロサンゼルス・エンゼルスというチームから、返事があったんです。「履歴書を送っていただいてありがとうございます。申し訳ないのですが、今は採用していません」という断りの手紙だったのですが、それを受け取ったとき、「読んでくれているんだ!」と思って、すごく嬉しかったのを、今でもよく覚えています。返事すら来ないのが当たり前だったんですよ。

どんなアプローチをしていたんですか?

嘉数 先ほどお話したように、チーム編成に関われるような仕事を探していたのですが、なかなか見つからないので、とっかかりとして日本人選手の通訳というポジションでの可能性を探り始めました。それでも、面接までは行っても、最終的に決まることはありませんでした。日本語と英語の両方が使えても、結局、野球の用語がわからないので、訳せないことがいろいろあったんです。通訳には、野球の経験のある人が採用されたりしていましたね。

長い就職活動の末、千葉ロッテマリーンズに採用される

最初の就職先は千葉ロッテマリーンズとのことですが、どういう経緯で千葉ロッテにたどり着いたんでしょう。

嘉数 日本人選手の通訳もダメとなり、「ちょっとまずいぞ、どうしよう」といよいよ焦り始めたのが2005年の秋頃です。その年、日本シリーズでは、ボビー・バレンタイン監督が率いる、千葉ロッテマリーンズが優勝しました。千葉ロッテは、バレンタイン監督が、若手をのびのびプレーさせていてチームの雰囲気がいいとか、いろいろなファンサービスをやるなど球団自体も新しい取組みをしているといったことが話題になっていたんです。当時、アメリカでアルバイトをしながら就職活動中でしたが、そのニュースを知って、千葉ロッテに興味をもちました。

千葉ロッテにも手紙を送った?

嘉数 ラッキーなことに、知り合いの知り合いの知り合いみたいな感じで、たまたまバレンタイン監督と連絡がとれたんです。それも偶然に、シーズンが終わって、バレンタイン監督がアメリカに帰って来ているタイミングだったんですね。バレンタイン監督からは、「日本へのビザの更新のためにニューヨークの日本の領事館に行くので、そこで会おう」という連絡があり、ボビーが手続きをしに来る日に領事館に行き、手続きが終わるのを外でずっと待ちました。全部終わったあと、領事館前に停めた彼の車の中でボビーと話をしたんです。僕がやりたいことをいろいろと伝えたら、運よく気に入ってもらえて、それで翌シーズンから千葉ロッテマリーンズで仕事をすることが決まりました。

いろんな縁と偶然が重なって、就職に結びついたのですね。

嘉数 2004年の6月に卒業して、実際に野球の仕事をしようと思って就職活動を始めたのが、同じ年の秋頃です。ボビーと話したのが、2006年2月なので、野球の仕事にたどり着くまでに、1年半くらいかかりましたね。

1年半の就職浪人というのは、諦めてもおかしくないと思うほど長いような気がしますが、思いつきで始まったとはいえ、やはりだんだん「この仕事に就きたい」という思いが強くなったのでしょうか。

嘉数 うーん、いま振り返ると、危険なことをしていたと思いますが(笑)、当時は、何も考えていなかったんですよね。ねえ、何考えてたんですかね? でも、「人が動くのはシーズンオフ」と聞いていたので、もともと2005年の秋頃まで仕事を見つけるのは難しいだろうと思っていました。なので、2005年はとにかくいろんな人に会っていたんです。いろいろな人に会ったからこそ、ボビーとつながることができたと思います。とはいえ、千葉ロッテの仕事がなかったら、もう1年待たなければならず、そうなっていたら、また違っていたかもしれません。本当にタイミングがよかったんです。

(次章に続く)

聞き手・撮影: Hello Coaching!編集部

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